21世紀の現代と言えども、この日本という国は張り廻られた結界図によって守護されている。その仕組みを紹介してみよう。まず北側には普通先祖を奉るとよいとされてるおり、家康の御霊が眠る日光東照宮が安置されている。この帝都を守護する結界図の絵を描いたのは徳川幕府であるから、家康という祖霊を祀ったのであろう。
また、鬼が都に侵入する方角とされる鬼門(北西)の守護として「将門の首塚」を設置している。鬼門に祀られることで”祟り神”は強力な”守護神”になりうるのだ。ちなみにこの首塚を北東(鬼門)の方角に伸ばしていくと茨城県にある胴塚につながり、この胴体と首が引き合う霊的なラインが強大な鬼門結界となる。
さらに鬼門結界には、相撲(国技館)、遊女(吉原)などが配置されているが、これはアマテラスの岩戸隠れの神話に起因する。アマテラスに岩戸を少し開けさせたのが、踊り狂ったアメノウズメ(遊女)であり、強引に岩戸を開いたのが力自慢のアメノタヂカラオ(力士)であった。言わば、遊女と力士はこの世に光を取り戻した神であり、その末裔である。力士や遊女を鬼門周辺に配置することによって鬼門の霊的防衛力を強化しているといえる。他にも鬼門には、2.26事件で反乱を起こした「青年将校の墓」、江戸を騒がした「怪盗・ねずみ小僧の墓」があり、これら異人(まれびと)たちも結界というシステムに取り込まれているものと思われる。
鬼門結界である将門の首塚に比べて目立たない。天門結界である帝都の北西には「麻布の首塚」が設置されていた。土地の造成により今は破壊されてしまっているが、この首塚は関が原の合戦における岐阜城の攻防戦で討ち取られた西軍の武士たちの首が埋まっていたと伝えられている。不気味な話だがこの「麻布の首塚」の跡地には、ある俳優の屋敷が一部被って建てられたと噂されており、その祟りであろうか。その俳優は猟銃で自らの首を吹き飛ばして自殺している。首塚を破壊した後に自宅を建てた人物が頭部を銃で吹き飛ばすなど、祟りとしか思えない逸話である。
昔は、東京湾の緑豊かな風が都内に吹き込み、その風が政治や経済、人心に非常に良い影響を及ぼしていると考えられていた。しかしながら、近年無数のビルが乱立してしまい、東京の中心部に東京湾の風が入ってこなくなってしまった。ゆえに日本経済が低迷しているという考え方があった。その妥協案として「マッカーサー道路」という計画が復活した。この「マッカーサー道路」と言うのはGHQが日本を支配していた当時、GHQが作ろうとしていた道路であり、その計画は60年以上封印されていた。
この道路を復活させれば景気が回復する、と当時の石原都知事も納得し復活にゴーラインが出た。その結果、東京湾から新宿まで一本の大きい道路が貫かれるようになり、これにより東京湾の気が、東京都庁まで来るようになった。言ってみれば「マッカーサー道路」がパイプラインであるならば、エネルギーを送り出すモーターが東京マラソンであると言える。東京マラソンは十字の形に膨大な人々が走り、その人々の動きが巻き起こす気のパワーにより、東京湾の気を都心部に送り込む役割を果たしているのだ。
あと鬼門のリバースの位置にある裏鬼門(南西)には「源頼朝の墓」がある。この時点で恐ろしい構図が浮き彫りになってくる。鬼門(北東)には平将門、裏鬼門(南西)には源頼朝、北には徳川家康、天門(北西)には関が原の西軍が鎮座するという恐ろしい武士たちの怨霊が帝都守護している構図がわかるだろう。
他にも帝都の裏鬼門には力道山や赤穂浪士など帝都の霊的防衛にふさわしい御霊が眠っているが、鬼門の平家ラインに比べたら、裏鬼門の源氏ラインは弱いと思ってきた。だがよくとく考えてみると、裏鬼門は「源頼朝の墓」だけではなく、義経や弁慶の御霊も組み込まれていた。なんと藤沢市には「義経首洗いの井戸」が残されており、常光寺には弁慶の御霊が封印された塚が現存しているのだ。「将門の首」が己の胴体と霊的に引き合って鬼門を守護するように、「義経首洗いの井戸」は兄である「頼朝の墓」と引き合いながら裏鬼門を守護しているのだ。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)