『独眼竜政宗』は、1987年に放送された第25作となるNHKの大河ドラマ。小説家・山岡荘八の小説「伊達政宗」を原作とした、その名の通り奥州の戦国武将・伊達政宗を題材とした作品であり、現在に至るまで大河史上最高視聴率39.7%という記録を保持している。
本作で主演をつとめた渡辺謙は、本作の大ヒットによって自身の名を一気に世に広めることにもなり、こんにちでも伊達政宗と聞いて渡辺謙をイメージする人は多いという。
ところで、タイトルにもある「独眼竜」とは、”片目を失った英雄”の意味を持っており、政宗を指すフレーズとして定着しているが、実はが実際に独眼竜と呼ばれていた史料や記録は無いと言われている。そもそも、「独眼竜」という言葉自体、政宗に初めて使用されたものではない。
中国の唐末から五大十国時代にかけて活躍した、李克用(りこくよう)という武将がいた。彼は生まれつき片目の視力を失っているいわゆる隻眼であり、そうしたハンデにもかかわらず襲い掛かる敵を片っ端からなぎ倒す名武将として知られた。その時彼に付けられたあだ名が独眼竜だったという。
この「独眼竜」という言葉が政宗を指して呼ばれるようになったのは江戸時代。『日本外史』の著者でもある儒学者・頼山陽が残した漢詩「多賀城瓦硯歌」の中に、政宗を指して「河北終に帰さん独眼竜」と詠み、ここから独眼竜政宗という異名が生まれたと言われている。
とはいえ、当時としてもこの二つ名はそこまで一般に浸透しているわけではなかった。その二つ名を、完全に定着させるきっかけとなったのが、この大河ドラマ「独眼竜政宗」だったという。また、本作によって、宮城県仙台市に観光客が殺到するなど経済的な効果も非常に大きく、いかにこの番組の反響が強かったかがうかがえる。
因みに、政宗を主役に据える関係上その敵役は悪役として書かれ、特に政宗の伯父である最上義光は東北統一最大の壁として立ちはだかるヴィラン的立場として登場した。
このため、彼の地元山形からは抗議が来たという逸話もあるが、そもそも義光がこのような人物として描かれるようになったのは、彼に対して良い評価をしていなかった山形県の実業家・服部敬雄の影響によるもので、この批判的な記述は「山形県史」などにも反映されるほどだったという。
【参考記事・文献】
・https://rinto.life/132876/4#h226
・https://www.masamune-date.com/others/post-238
・https://x.gd/IbnUO
・https://x.gd/MJBJU
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【文 黒蠍けいすけ】