NHKの大河ドラマ『真田丸』にいよいよ真田幸村と並んで戦国の人気キャラとして愛されている伊達男・伊達政宗が出てきた。いつの時代も人々の心を捉えて離さない正宗だが、そのイメージと実像はかけ離れている。
劇画や映画で偉丈夫の大男として描写される伊達政宗だが、その身長は159.4cmであり、当時としてもさほどの大男ではない。”独眼竜”という異名も自分で名乗ったわけではなく、江戸時代の学者・頼山陽によって後唐の李克用のあだ名から名付けられたものである。
またよく「伊達男」という言葉は伊達家の壮麗で華美な武者ぶりから生まれたと言われているが確定事項ではなく、「立て男」が「伊達男」に変化したという説も有力になってきている。
正宗が片目であったのはどうやら事実のようだが、天然痘で片目の視力を無くしたとも、幼い頃に目玉を抉り出したとも言われており、理由には諸説ある。また、ドラマや映画でお馴染みの眼帯も本当にしていたのか疑わしい。
眼帯をしていないことも多々あったようで、常に眼帯でいたわけではないようだ。
正宗の墓がある宮城県瑞宝殿は、第二次大戦中の米軍による空襲で消失してしまったが墓そのものは無事であり、その再建時に正宗の遺骨が調査されたことがある。その骨格の調査によると鼻梁が高く二枚目であったと推測されたのだが、興味深いことに眼球のあった部分には何の異常もなかったという点である。
この事実を踏まえて、正宗は実は両目が見えていたとか、左右の瞳の色が違っているオッドアイであったとか、諸説が唱えられているが、実際に骨に異常がなくとも眼球そのものに障害があり失明していた可能性はある。
このことは正宗も気にしていたらしく、晩年には「自らの肖像画は両目がある形で描いて欲しい」と言っていた。
その証拠に仙台市博物館に所蔵されている政宗の肖像画は、両目が開いている。最も正宗の実際のビジュアルに近いのは、瑞巌寺に所蔵されている正宗像であるとされているが、この像は正室・愛姫が造らせたものであり、かなり似ていると推測されている。
また、正宗のドラマで山場のひとつである母親による正宗毒殺未遂事件も最近では疑わしいと言われており、母親が実家に逃げ帰ったのは事件から数年が経過したあとであり、その間も親子の親しい手紙のやりとりが続いていて、親子の確執はなかったのではないかという説や正宗が弟擁立を狙う家中の反対勢力を一掃するために毒をもられたふりをして弟を手討ちにしたという説も唱えられている。
虚実が入れ乱れる正宗像、英雄は実像と虚像の狭間で揺れるものである。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)