『黄金の日日』は、1978年に放送されたNHK大河ドラマである。安土桃山時代にルソンへ渡って貿易商として巨万の富を得た呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)を主人公とした物語であり、二代目松本白鸚(元九代目松本幸四郎、当時・六代目市川染五郎)が主演をつとめた。
本作は、それまでの大河ドラマにはなかった”初めてづくし”の作品であったという。
まず、それまで武士を主人公にしていた大河ドラマが商人を主人公にしたことだ。これは、「武士が主人公のドラマは民放でもできる」「NHkでなければできないものを作る」という意向によるものだったという。
次に、原作となる歴史小説に沿って脚本家がシナリオを書くというそれまでの大河ドラマの様式を変えたこともあげられる。製作総指揮者の近藤晋によると、作家である城山三郎と脚本担当の市川森一に対して全く同じ設定を使って物語を書くように頼み、城山は小説としての「黄金の日日」を、市川は脚本としての「黄金の日日」を書いてもらうという、特殊な試みを行なったという。
市川にとっても、一人で50回分の脚本を書くこと、なにより時代劇を書くことすら初めてだったとのころで、スランプといった事態はなかったものの、筆の進みは非常に難航したようだ。因みに、「黄金の日日」というタイトルを名付けたのは城山であったという。
そして、もう一つ、本作はなにより大河ドラマ史上初となる海外ロケを敢行した作品でもあることが最大の特徴だろう。
場所はもちろん、呂宋助左衛門の名前の元にもなったフィリピンのルソン。フィリピン大統領と同国の観光省の協力を得て、ルソン島北部のサン・エステバンにて2週間にわたるロケが実施された。オープニング映像にある夕焼けのシーンも、このフィリピンロケで撮影されたものである。
このロケの際に、こんな出来事があった。
5月から9月にかけてのフィリピンの雨期を避けるべく、乾期となる10月初旬にフィリピンのマニラに入った撮影スタッフ一行。そのマニラ入りした翌日のこと、ロケ地へ出発しようとした一行を、突然の激しい雷雨が襲った。
だが、実はその雷雨は日本で言うところの”梅雨明け”の雷であり、言うなればフィリピンの”雨期明け”がハッキリされたことを意味しており、幸先の良いスタートと言えるものだっただろう。
それを表すかのように、本作は当時『赤穂浪士』『太閤記』に次ぐ歴代高視聴率をマークし、また最高視聴率も34.4%という記録を叩き出した。
【参考記事・文献】
・http://ichikawa.nkac.or.jp/interview/kondo/
・https://dic.pixiv.net/a/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%97%A5
・https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010745
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【文 黒蠍けいすけ】