サブカル

大河ドラマ『風と雲と虹と』メインキャスト恒例行事が中止になったその理由とは

『風と雲と虹と』は、1976年に放送されたNHK大河ドラマ第14作目となる作品。平安中期を舞台に、平将門を主人公として描いた本作は、大河ドラマの中で最も最古の時代を扱ったことでも知られ、西暦3桁の時代を舞台とした唯一の作品となっている。

平均視聴率24%、最高視聴率に関しては30.1%を記録し、大河ドラマとしては初めてストーリーブックが発売され、舞台となった縁の地が観光地となるなど、大河ドラマを通じて大きな産業効果を生み出すという事態が、注目された最初の作品とも言える。このことが、のちの大河ドラマに与えた影響は大きい。

腐敗した都の貴族社会に失望し、独立国を築こうと権力に反抗した将門と、それに呼応して瀬戸内海(当時・西海)に理想郷を築こうとした藤原純友の友情、そして戦いを描く本作。将門役を務めたのは加藤剛、純友役を務めたのは緒形拳であった。

この加藤への将門役の抜擢は、実は加藤自身が希望したものであった。当初、プロデューサーから提案された役は別の人物であったのだが、それが事情でダメになってしまい、そこで加藤が「将門はどうでしょうか」とプロデューサーに問うたことで決定したという。

与えられた役を懸命にやる、という言葉を口癖としていた彼にとっては、将門役の希望は彼にとっても唯一の例外だった。将門は、時代の解釈によっては朝廷に逆らった、いわゆる極悪人とも見なされたような武将である。

しかし加藤によれば、自らの命を賭して革命的なことを起こそうしたその将門の生き方に魅力を感じ、そんな彼を演じることには並々ならぬ重みを抱きながらのぞんだという。

そして、大河ドラマにおいて将門を主人公として描いたことで、こんなエピソードもある。

NHK大河ドラマでは、メインキャストが成田山にて、勢揃いで豆撒きをすることが毎年の恒例となっている。しかし、本作の際には、唯一その豆撒きが行なわれなかった。

これは、成田山の開山事情に理由がある。成田山開山は、将門が起こした戦乱の終息を祈願したことに始まっており、結願(けちがん)の日に将門が破れ、伝承によれば不動明王の霊告を受けたことを理由に、天皇から「新勝寺」の寺号が賜れて開山された。つまり、成田山は将門の怨敵というわけだ。

こうした事情があって、大河ドラマのメインキャストが行なう恒例の豆撒きは、この時に限り実施されなかった。実際、将門ファンの間でも、成田山はお参りしないという”ルール”のようなものも存在しているという。

話は変わって、本作は板東の荒野や瀬戸内海の海戦など、多くの合戦シーンが描かれた。それもあってか、本作におけるロケーションは非常にスタッフの苦心が随所に伺える。

海戦は、全てスタジオセットでの収録であったが、大海原をセットで再現することは非常に困難を極め、一度だけを除きほとんどは夜あるいは(大量のドライアイスを利用しての)霧が立ち込めた状態で”ごまかして”いた。たった一度だけあった昼間の海戦シーンは、船の片側だけを水に浮かべ、さらに船の下に車を付けることでスタッフが力づくで動かす形で船が進むようにしていたという。

また、スタジオに10頭もの”タレント馬”がスタジオに連れられ登場することもあったが、少し目を離してしまうとセットの木の葉を馬が食べてしまい、ある時ではすっかり食い尽くされてしまっていたというようなハプニングもあったそうだ。

こうした苦労の甲斐もあったのか、本作が大河ドラマ史に残る作品となったのは必然だったのかもしれない。

【参考記事・文献】
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010746
https://www.naritasan.or.jp/about/hajimari/
https://dot.asahi.com/articles/-/97981?page=1

【アトラスニュース関連記事】
大河ドラマ都市伝説、花の呪い「花の文字がタイトルに入るとヒットしない」?!井上真央の『花燃ゆ』は呪われていた!
平将門の呪いの結界

【文 黒蠍けいすけ】

画像『吉永小百合出演 大河ドラマ 風と雲と虹と 完全版 第壱集 DVD-BOX 全7枚【NHKスクエア限定商品】