都市伝説

平将門の呪いの結界

日本の呪術について書き進めて行く上で、触れねばならないのが「関東の覇者・平将門」ではないだろうか。かつて、将門は天皇に向こうを張り、新皇と称し、関東一円を独立国にしようとした。反逆のアンチヒーロー、それが平将門である。今はやりのダークサイドの走りともいえよう。

 当時の将門は、関東をまるで独立国のように扱い、各地の国司を朝廷とは別ルートで任命し、自らを中心とした国家体制を整備しつつあった。これはあきらかに朝廷に対する挑戦であり、天皇への反抗をここまで露骨にやったのは、日本史上南北朝時代の足利尊氏と平将門しかいない。天皇の血をひく将門であるがゆえ、自分が天皇になってもおかしくないという気持ちがあったのかもしれない。
 そんな反骨精神旺盛な将門に対して、関東では判官贔屓する傾向がある。たとえ京都では怨霊であっても、関東人にとっては、将門さまは神田明神に祭られる神様なのだ。京都へ対する江戸っ子の意地の中に、将門の怨霊は生き続けるようだ。




英雄・将門も、豪傑・俵藤太によって討たれてしまう。過去に藤太は将門の人物を見分けるために将門のもとを訪れた事がある。将門の人柄、人望に大いに共鳴した藤太だったが、朝廷の命を受け、ついに討伐軍に名を連ねるのであった。
 この将門という魔王を打ち破った俵藤太も尋常な男ではない。彼も限りなく魔物に近い男なのだ。かつて俵藤太は橋の上で眠っている大蛇を平然とまたいだ剛勇を見込まれ、助っ人を頼まれる。竜宮の使いである大蛇を助け、「妖怪・大百足」を弓矢で射殺しているのだ。その時、魔物にとって人間のつばが毒物であると見抜き、矢につばをつけて撃退する事に成功している(この大蛇談自体が藤太の将門征伐から生まれたという説が強いのだが…)。

 また他のエピソードでは路頭に迷った怪物・鮫人(さめびと)を助け、自分の家に住まわしてあげるという親切ぶりも発揮している。(それにしても、鮫と人間の間ような容姿の怪物を自宅にすまわせるというエピソードがすごい。)しかし、鮫人の涙が宝石になり、高く売れるとなると、ちゃっかり販売する商人ぶりも見せているのが微笑ましい。

 このようなエピソードから判断するに俵藤太とは、大蛇や鮫人を助けるなど竜宮系の魔物と縁が有り、損得抜きで動く親切な男である。それでいて商売もうまかったり、百足や将門の弱点を巧妙に見抜くなど、合理的な考えもある点があげられる。まさに魔王・将門のライバルに相応しい。
こうして、将門軍と藤太軍の対決が行われるのだが、俵藤太は将門の影武者に悩まされていた。いくら討ち取っても偽物なのだ。ウワサによると将門の影武者は7人もおり、どれも本物と見分けがつかないという。本物は一体誰なのだ。どうやったら見破れるのか。藤太のあせりはピークに達した。

 その時、ひとつの妙案が浮かんだ。自分の妹である「桔梗の前」を将門に間者として送り込む事であった。こうして「桔梗の前」は将門に取り入り、側室となった。そして注意深く観察し、「コメカミが動くのが本物である」と見破ったのである。それを聞いた藤太は狂喜乱舞した。そして見事、将門を打ち破ったのである(異説では藤太と桔梗前は兄弟でなく、ただ単に将門の愛妾・桔梗前が藤太に惚れてしまい、秘密を漏らしたというものもある。また桔梗前は将門の愛妾ではなく、母親であるという説もある。




しかし「桔梗の前」はくやんでいた。例え兄の為と言えども、自分の夫を売ったのである。そしていつしか彼女は将門を愛していたのだ。悲観した桔梗の前は、現在の船橋市天沼公園付近に御堂を構え将門の菩提を供養した。そして最後は船橋の浦(現在の船橋港)に身投げしてしまったという。その後、桔梗前の怨霊は巨大な鮫となり、漁師たちを襲ったと伝えられている。              
 結局、将門は悲惨で藤太の放った矢がコメカミに当たり、落命してしまうのだ。つまり、コメカミが将門の弱点であり、影武者との見分け方であった。なおコメカミとは古来より日本では大切な部分とされてきた。何故なら、米を噛む時に動く部分であるから「コメカミ」という言霊を当てられたという。さらに神道的解釈をすると神がそこにいるとされたのだ。つまり将門の弱点にはあまりにも相応しい部分である。

  このように魔物でありながら、男気と合理主義を併せ持つ不思議な「怪人・俵藤太」にかかれば、ひどく純粋な「魔王・将門」が討ち取られたのもいたしかたないかもしれない。
 こうして、将門は永い眠りにつくのだが、将門の呪いを霊的に利用しようとする存在が出現する。徳川家康配下の怪僧・天海であった。この男は明智光秀の後年の姿とも言われている。幕府内部で秀忠一派や、崇伝との闘争を繰り広げながら次第に力をつけた天海は、将門の御霊を徳川幕府の霊的な守護にする事に成功した。

 構造を説明すると、中心の徳川幕府を軸に、鬼門に将門の首塚、裏鬼門に頼朝の首塚、北西の天門を服部半蔵、北側を家康の魂の眠る日光東照宮によって守護させた。なお将門の首塚の延長線上には、将門の胴塚がある。
 ちなみに胴塚のある茨城県は今も帝都にとって忠実な下僕となっている。原子力発電所という現代の鬼も茨城県に配置されている点でもそうであろう。また関東初のエイズ感染者、鳥インフルエンザも茨城で発生している。病魔や災害の魔力は、いまも鬼門から東京を狙っているのだ。




 この天海の策略は当たった。将門、頼朝に守られ、徳川幕府は実質社会でも、霊の世界でも確固たる地盤を構築する事に成功した。そして家康が死去する。天海は家康の御霊さえもレイラインに組み込んだ。北の守護を家康の御霊によって実地したのだ。つまり、日光東照宮である。こうして、将門の呪いは現在でも日本の首都防衛に役立っているのだ。

 千葉県において、「八幡の藪知らず」が将門の伝説地として知られているが、ここは将門の本陣の死門(仙道で言う鬼門)であるという説がるのだが、あの将門にそっくりな七人の影武者が眠っているという説も根強い。七人の影武者たちは、この21世紀もシステムとして、利用される将門の呪いをどう見ているのであろうか。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

※画像©写真素材足成