上杉謙信女性説とは、昭和43年(1968年)に、サンカ研究で知られる学者で作家の八切止夫が提唱した”とんでも仮説”である。

 明治大学で教鞭をとっていた八切が唱えたことで論争が巻き起こった。まさにリアル『ベルサイユの薔薇』、戦国版『リボンの騎士』と言えよう。

 検討に値しない仮説ではあるが、その根拠を見ていくとまんざらありえないこともないと思えてくる。

 まずは上杉謙信の「生涯不犯」という姿勢であり、女人の影が周囲に全くなかった点である。単に同性愛者であったとも、仏門に入っていたので女人を断っていたとも考えられるが、若干の例外を除いては女性遊びをした記録が極端に少ない。

 また謙信は、自らを毘沙門天の化身と称したが、この毘沙門天とはもともとは女神であるという。また、福島県に鎮座する上杉神社に筆者は取材に行っているが、信長から送られたものも含めて、謙信が着ていた着物が数点保管されている。だが、その着物の色は赤色が中心であり、どうみても女性の着物にしか見えなかった。

当然、赤系列の着物を贈った信長も謙信が女性であったことには気が付いていたようで、謙信には源氏物語屏風も贈っている。屏風を贈る行為は当時の習慣では女性に向けてなされるのが一般的であり、謙信はラブロマンス小説であった源氏物語を好んだと言われている。

 女性の武将というのも何人かは実在しており、信長の叔母は城主であり、合戦の指揮をとっているし、遠野藩には女性の殿様がいた。




 興味深いのは、謙信の肖像画である。我々現代人がイメージする髭面の顔は江戸期に描かれたものであり、近い時代に描かれた肖像画は僧形であり、柔和な顔つきをしている。因みに筆者は大坂城博物館で、髭のない謙信の肖像画を見ている。見た印象ではうりざね顔の女性のように見えた。

 では、あの髭面の肖像画は男という印象を強く与えるための情報操作であろうか。

 さらに上杉謙信が出陣する際に歌ったごぜ唄(目の不自由な女性芸人が歌う歌)には、寅年寅月寅の日生まれで政虎とも名乗った謙信を、男も及ばぬ怪力の女性として讃えている。

『寅年寅月寅日に生れたまんとら様(まさとら?政虎?)は、城山さまのおん為に赤槍立ててご出陣。男も及ばぬ大力無双』

 気になるのは謙信の死因である。脳卒中とされているが『当代記』という文献には、謙信は49歳のとき、大虫で亡くなったと記述されている。この大虫とは子宮に関する病や更年期障害など婦人病を指すと言われており、一部の大虫神社には女神が祭られている。

 なお客観的な外国人の記述もある。スペイン国王・フェリベ2世に派遣されたゴンザレスという人物が国王への報告書の中で、「上杉景勝は叔母が開発した佐渡鉱山をたくさん持っている」という記述をしている。この叔母こそが、謙信ではないのだろうか。

 決定的なのは、第四次川中島の戦いや七尾城の戦いにおいて、戦闘中にも関わらず、謙信は毎月10日前後に腹痛を起こし、兵を引いている。これは女性の月経ではないかと指摘されているのだ。

 こうして見ていくと、上杉謙信が女性であった可能性が全くないとも言えなくなるのが、不思議だ。なかなかロマン溢れる伝説である。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

雪花の虎





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