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【経済都市伝説】大宅壮一 長男に名付けようとした意外な名前とは

大宅壮一は、ジャーナリスト、ノンフィクション作家として活躍した人物。

「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」「口コミ」などの造語を生み出したことでも知られ、またその独特の視点と表現によって繰り出される論評から、新聞や雑誌、テレビに引っ張りダコとなり、「カラスの鳴かぬ日はあっても、大宅壮一の声を聞かない日はない」と当時の社会党委員長・浅沼稲次郎も言ったほどであるという。

非イデオロギーとして、いかなる思想にもつかないスタンスをとっていたという大宅。かつて、特高警察に検挙された時のこと。刑事から「得体の知れないやつ」と称され、思想が右か左かハッキリするよう問われたことがあったが、それに対して大宅が言った答えは「あなたのほうで決めて下さい。自分でもよくわかりません」というものだったという。

そんな彼も、若い頃はマルクス主義に傾倒していたこともあったそうだ。そもそも彼は、1920年代に日本共産党シンパの評論家としてデビューしており、自宅を共産党の秘密会議の場として提供していたこともあった。

1932年6月、のちに詩人として活動するも33歳という若さで死去した長男・大宅歩が誕生した。実はその時、長男の名前としてウラジーミル・レーニンやカール・マルクスの名をもじった「零仁」あるいは「丸人」などといった名前を候補にあげていたという。

一時期とは言え、彼がいかに社会主義に染まっていたのかがよくわかるエピソードだ。

【参考記事・文献】
https://bunshun.jp/articles/-/41720
https://hakameguri.exblog.jp/32249423/

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【文 イトフゆ】

画像 ウィキペディアより引用