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経済都市伝説「松下幸之助」『さっぽろテレビ塔の電光時計は松下のアイデア』は本当か

パナソニック(元松下電器)の創業者である松下幸之助のエピソードの中に、次のようなものがある。

北海道は札幌に建つ「さっぽろテレビ塔」。札幌テレビ放送がはじまった1957年に、”塔博士”や”耐震構造の父”と呼ばれた内藤多仲の設計によって完成したこのテレビ塔は、巨大な電工時計が設置されていることでもお馴染み。

時刻と共に「Panasonic」という文字が眩しい(以前は「ナショナル」、次に「National」、そして現在のものへと変更された)。

このさっぽろテレビ塔の電光時計、実ははじめから設置されていたわけではなかった。そして、その設置のアイデアをもたらしたのが松下幸之助だったと言われている。

それによると、「塔に時計とブランドネームを付ければみんなが必ず見てくれる」という広告効果を狙って松下が考案し、寄贈されたものであるという。

だが、このエピソードは実のところ、話の出所がよくわかっていない上、一部の市民の間でまことしやかに囁かれている都市伝説のようなものであると言われている。

疑問となっているのは、さっぽろテレビ塔以外のどこのテレビ塔にもつけられていない電光時計の設置を、本当に松下が考案したのだろうかという点だ。

実は、パナソニック創業100周年の広告が掲載された2018年3月9日付の北海道新聞によると、事実は少々異なっているようだ。

当時の松下電器北海道営業所長が、北海道の新たなシンボルであるさっぽろテレビ塔を見て、「ここにナショナルのネオンを取りつけることができたら効果抜群」と考え、その所長の申し出を聞いた松下が「それは是非やろう」と即決したという旨が記録されている。ネオンの取りつけを考案したのは、営業所長であって松下ではなかったというわけだ。

しかし、これはあくまでネオンについてであり、電光時計はまた別の事情がある。1959年6月7日付の北海道新聞によると、テレビ塔近くのバスセンターの利用客からの要望があったということが記されている。

つまり、電光時計の設置は札幌市民の要望が発端で、その時計設置の交渉過程で松下電器の北海道営業所長が宣伝効果を狙い、それを聞いた松下が「やろう!」と決めて寄贈された、というのが正確だそうだ。

さっぽろテレビ塔の電光時計は松下幸之助の”アイデア”ではないものの、アイデアを受け入れ時計を贈ったことそのものは事実のようだ。だが、松下幸之助のアイデアと言ってしまえば確かにそうかもしれないと思えてしまうのは、流石は経営の神様の風格といったところだろうか。

【参考記事・文献】
https://sapporokara.com/2021/06/06/tokei/
https://amaidekopon.blog.fc2.com/blog-entry-108.html
https://note.com/kiidautoi/n/na24ba2d7f04e#40BAB09C-AB60-4C87-ADAD-86F3B31D5A5D

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【文 イトフゆ】

画像 ウィキペディアより引用