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ロックバンド「キャロル」熱狂伝説 解散コンサートで会場大炎上?!

キャロルは、1972年から75年まで活動していたロックバンド。ロックミュージシャンの矢沢永吉がバンドリーダーとして所属していたバンドとして知られており、「ファンキー・モンキー・ベイビー」をはじめとした代表曲を多く持つ。わずか2年半という短期間でありながら当時の若者たちから絶大な人気を誇った。

1972年。川崎駅近くの楽器店に「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」という貼り紙が貼られた。フォーク人気に火が付き、ロックンロールを演奏できる場所が少なくなっている中で、ロックバンドのメンバー募集が行なわれた。この貼り紙を書いた主は矢沢であった。

募集に応じたメンバーの中でも、サイドボーカルを担当したジョニー大倉による貢献は大きかった。クリスマス・キャロルにインスピレーションを受けた大倉により「キャロル」というバンド名が発案されたことはもちろん、ビートルズのコピーバンドとして始まったキャロルにおいて、革ジャンにリーゼントというスタイルを導入したのも彼がきっかけだったという(この構想自体はキャロル以前に矢沢も抱いていたらしい)。

最大の特徴は、結成時から日本語のオリジナル曲を演奏していたことだ。何より、ロックに日本語の歌詞を乗せるというスタイルはキャロル、特に大倉によってもたらされたものであり、英語の響きやリズムをベースとして、滑らかな日本語の歌詞を生み出すことに全力を注いだという。

さて、そのキャロルに対するファンの熱狂ぶりというと、まさしく狂乱という言葉がふさわしいとさえ思えるものであったと言えるだろう。ファンの多くにいわゆる暴走族といった不良たちが多かったこともあり、暴動や乱闘がたびたび起こったという。

1974年7月に京都の円山公園野外音楽堂で行なわれたコンサートでは、観客の乱闘によって11人の負傷者を出すほどにエキサイトしてしまった。このようなことが重なり、キャロルはだんだんと全国の至る会場からも締め出されるようになってしまったそうだ。

1975年4月13日に日比谷野外音楽堂で行なわれた解散コンサートでは思いもよらないハプニングまで発生した。「ファンキー・モンキー・ベイビー」に始まり、「ルイジアンナ」でラストを飾り会場の熱気が最高潮に達する中、なんと演出のために放った爆竹の火が発泡スチロールの舞台セットに燃え移り、天井に達するほどの炎上が起こってしまった。

幸いにも屋外だったことで火の手はすぐに抑えられたが、狂乱の中で解散したキャロルならではの締めくくりといったところだろうか。

【参考記事・文献】
https://gossip-history.com/g01642/
https://realsound.jp/2014/11/post-1885.html
http://music-calendar.jp/2015090301
https://www.news-postseven.com/archives/20230915_1903955.html?DETAIL

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【文 ナオキ・コムロ】

画像『ファンキー・モンキー・ベイビー