『大岡越前』は、ナショナル劇場にて1970年から99年まで、またはNHKのBSプレミアムにて2013年から放送されている時代劇テレビドラマシリーズである。
江戸時代の南町奉行・大岡越前守忠相を主人公とし、江戸を騒がす事件のイザコザを裁く「大岡裁き」を売りとして人気を獲得した。
「大岡越前」というタイトルは放送前に公募が行なわれ、6万あまりの応募の中から決定したという。ナショナル劇場においては、俳優の加藤剛が30年近く大岡を演じきったことで、大岡越前といえば加藤剛というイメージも定着している。
記念すべき第1話は70年3月16日に放送されたが、現在地上波ではこの第1話の放送が不可能になっているという。
それは、古い番組にありがちなマスターテープが失われたというようなものではなく、「白痴狂人」「キチガイを通り越して手のつけようのない馬鹿」といった現在の放送コードではNGとなる表現のためであるという。
さて、ドラマにおける名裁きでお馴染みの大岡であるが、そもそも、ドラマ「大岡越前」の大半は江戸時代の写本や講談で語られた『大岡政談』をもとに描かれたという。
この「大岡政談」は、大岡の公正かつ人情味に溢れたおよそ80もの裁きが記録されているが、ほとんどが後世の作り話であると言われている。
この80例ほどの出来事の中で、実際に彼が奉行在任中に起こったものと確認できるのはわずか3例にとどまっており、それどころか3例の中で大岡がハッキリと関与したことが確認できるのは、1726年の「白子屋お熊事件」ただ1例のみだという。
白子屋お熊事件は、江戸日本橋で評判の美人として知られた木材商「白子屋」の娘・お熊が、浮気相手である店の手代・忠八と密通し、女中や按摩の横山玄柳を利用して殺害を企てたというものである。
殺害は未遂に終わっているが、問屋の中で起こった愛憎劇として知られ、お熊と不倫相手および実行犯である女中が死罪、お熊の親も追放という結末を迎えた。
因みに、この白子屋お熊事件は大岡政談の逸話を収録した『隠秘録』(1769)には載っていない。理由は定かではないが、事件としてはありきたりであったため、それほど注目されなかったためだと考えられている。
その後、芝居などで脚色されて披露されるようになったことで、大岡による判決が下された事件として日の目を見るようになったのだとか。
さらに、真偽は不明であるが、大岡が冤罪で極刑を下したという逸話があるという。
これは、武陽隠士(ぶよういんし)という正体不明の人物の著書『世事見聞録』に記されているもので、大岡が過去にたった一人だけ誤って死罪に相当しない人物を極刑に処した人間がいたと、大岡自身が告白したという古老の伝聞として記述されている。
もちろん、伝聞であるためそのまま鵜呑みにはできない話ではあり、現代的に言えば都市伝説的な話とすら思える。
ただ、当時の人々が大岡を庶民のヒーローとしてイメージを定着させていたことは確かであり、この理想とされるイメージを基準に良くも悪くも様々な逸話が生み出されたという事実は間違いなかったのだろう。
【参考記事・文献】
・https://bushoojapan.com/jphistory/edo/2024/12/18/161062/2
・https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E8%B6%8A%E5%89%8D
・https://music1963.com/?p=3755
・https://www.ben54.jp/news/2052
・https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000253426
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【文 黒蠍けいすけ】