前世滝沢馬琴の江戸奇伝 江戸時代リアル怪談『惣八』

画像 俊寛僧都島物語(国会図書館D)

 浅草元島越明神町にある神主長屋という屋敷の家主を任されていた惣八は、俄然として病弱になってしまったので、色々なおまじないを試みましたが、一向に良くなる気配はありませんでした。

 惣八は、浅草小揚町にある浄土宗の浄念寺を菩提所としていたのですが、ある人から日蓮宗に改宗して病平癒祈祷をしてみてはどうだろうかと勧められるまま、日蓮宗に改宗しました。

 ある日、惣八は浄念寺を訪れて「病気を治すために改宗したのですが、改宗したのは夫婦だけなので、子供たちの菩提所は今まで通り、浄念寺とさせて頂きたいのですが、構わないでしょうか?」と住職にお伺いを立てました。住職から、一義的には至らないのでその希望は心得ました。




 更に仔細はありませんか?と返答を頂くと、惣八は喜びながら「それでは、夫婦は何某寺(寺院名は忘れました)を菩提所にさせて頂きます」と、お辞儀をして浄念寺を立ち去りました。それ以後、惣八は熱心に法華経の題目を唱えていましたが、ますます病弱になってゆくばかりでした。

 文政七年大晦日のことです。惣八はとても具合が悪そうな様子で浄念寺を訪れ「真夜中に病を押して訪れたのは、おまじないの力も及ばず、病平癒祈祷のために改宗したのですが、一向に良くならなので、万が一のときは、元の菩提所であります浄念寺に埋葬して欲しいと思いお願いにあがりました」と言って立ち去りました。惣八の様子を見て心配になった住職は、直ぐに惣八のところへ使いの者を送りました。

 それから間もなくして帰って来た使いの者から「惣八は、昨日の夕方に亡くなったそうです」と聞かされた住職はとても驚いて、さては、先ほど来たのは惣八の幽霊だろうと不憫に思ったので、惣八の願い通りに亡骸を浄念寺に埋葬しました。

文政八年正月二日


画像 俊寛僧都島物語(国会図書館D)参考:兎園小説(国会図書館蔵)

あとがき

日蓮宗で述べられる「お題目」とは「南無妙法蓮華経」の7字のことで、題目とも言われます。南無とは一心に仏を信じることであり、妙法蓮華経には、お釈迦さまが多くの人を教え導いた智慧と慈悲の功徳が全て備わっていると言われています。

日蓮上人が遺されたお言葉に【法華経を信じる者は冬の如し必ず春が訪れる】という法話があります。致命的な病気や怪我をしてしまい、藁をも掴む思いで法華にすがり、元気に生活を送れるようになったという方は沢山いらっしゃると聞きます。

筆者の知り合いの日蓮宗の方にも、いつ死んでも不思議ではないと医者から宣告を受けてから、数十年も元気に肉体労働を続けられている方が数人ほどいらっしゃいます。法話では、必ず成仏できますと述べられているので、必ず病気や怪我が治りますと述べられている訳ではありませんが、法華を信じた多くの方が、不思議と元気を取り戻して生活できるようになったという話は沢山あるようです。




ですから、記事に登場する惣八は、残念ながら病で亡くなってしまったようですが、元の菩提所に埋葬して欲しいとの願い通り、浄念寺に埋葬されたので、安らかに成仏することができたのではないでしょうか。

浄念寺に祀られている鎮守の化用天神は、1605年に開山上人の夢告によるもので、この地を境内として井戸を掘ったところ黒い木像が見つかり、渡唐の天神の姿で法衣をまとい、五條袈裟をつけた法体の天神さまが夢枕に現われたとのことで、江戸八天神の一つとして400年に及んで伝えられた像が、震災と空襲によって被災を受け、新たに再建、奉祀されたものです。化用とは、阿弥陀さまの人々を救われる作用をいうので、常に照らす阿弥陀仏の作用を表されることであります。

記事中で惣八が埋葬されたと述べられている浅草小揚町(現、台東区周辺)の浄念寺が現存しているようだったので、浄念寺を訪れてお坊さんに詳細を訪ねてみたところ、空襲で殆どの記録は消失してしまいましたが、惣八が菩提所としていたのならば、調べれば何か分かるかも知れませんとのことで、惣八にまつわる墓石を現在調べて頂いております。

 
参考:浄念寺縁起、ウィキペディア

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

 

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