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聖夜のシンボル「クリスマスツリー」、キリスト教と無関係だった?

クリスマスを象徴するイメージと言えば、クリスマスツリーではないだろうか。

一本の木に煌びやかな照明と多彩なデコレーションが施されたその情景は、世間にクリスマスの到来を告げるシンボルとして欠かすことのできない存在となっている。

クリスマスは普通、「イエス・キリストの降誕を祝う祭」とされており、サンタクロースのモデルになったと言われている聖ニコラウスもキリスト教の司教であるため、本来はキリスト教色の強いイベントとなっているが、それではクリスマスツリーのルーツはなんであるのか。

かつて、ゲルマン民族には「ユール」と呼ばれる当時の祭りがあり、冬でも青々を葉を茂らすたくましい生命力をもった樫(カシ)の木を「永遠の象徴」として祭祀に用いて崇めていた。現在でも北欧諸国ではクリスマスをユールと呼ぶ風習が残っている。

8世紀ごろのこと。当時のキリスト教は、その布教活動を大々的に展開していく中で、キリスト教以外の宗教やそれを信仰する民族とたびたび衝突を起こしていた。そんな中、当時のフランク王国にて、ゲルマニアの地に足を踏み入れた宣教師のボニファティウスが、彼らの「ユール」に遭遇した。

異教を信仰することは悪しきことであり、キリスト教に改宗させて正さなければならない、そう考えた彼は、なんと樫の木を切り倒してしまう。すると、そのすぐ傍から樅(モミ)の木が生え、彼はそれを「奇跡の木」と呼び、さらに樅の木の三角の形状が三位一体としても喩えられるということから、キリスト教の木と定め、これがクリスマスツリーのもとになったという。

実際クリスマスツリーの起源については諸説あり、上掲の話も「オーディンの樫の木」という神話に基づいたものであるため、真偽のほどは定かではないことに注意して欲しい。他にも、キリスト教が入ってくる以前の土地の土着信仰によって、魔除けとして常緑樹を家の内外に飾っていた習慣が起源であるとするものなどがある。

それらの説を見てわかることは、少なくともクリスマスツリーがそもそもキリスト教由来のものでは無かったということだ。言うなれば、異教の習慣への対抗あるいは吸収によって新たに生み出されたものであり、当初はとりわけキリスト教的意義の強いものでは無かったことは確かだ。

15世紀には、ドイツのフライブルグにて、救貧院に飾られた樅の木に町のパン職人がフルーツや焼き菓子を木に飾りつけたのがクリスマスツリーの装飾の元祖ではないかとされており、この時点でもキリスト教的な意味合いは装飾に見られていない。

しかし、1600年ごろ、フランスのアルザス地方のとある集会所に立てられた樅の木にリンゴ(禁断の木の実)とホスティア(聖餐式のパン)などのキリスト教的な意義を持つアイテムの飾り付けがなされるなど、時代が下るにつれてクリスマスツリーは徐々にキリスト教的なものとして浸透していくことになったという。

こんにちに至り、クリスマスにはあらゆるキリスト教的意義が付与されている。もとはキリスト教と関係が無かったと言われるツリーも、そこには異文化の融合と吸収および独自の解釈を施してきたという歴史があったのだ。

【参考記事・文献】
https://libeken.com/history-of-christmas-tree/
https://www.eflora.co.jp/f_xmas/colum/xmas/05/#section1
https://trivia-japan.net/2826.html#i
https://oshi-dori.com/4107.html#toc4

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【文 黒蠍けいすけ】

画像 ウィキペディアより引用