ひょっこりひょうたん島は、1964年から69年にかけてNHKで放送されていた井上ひさし・山元護久原作の人形劇。ミュージカルを取り入れ、笑いあり涙あり、風刺を利かせたそのストーリーが人気となり、1990年代にはリメイクもされたほどに親しまれている作品となっている。
本作の粗筋は、ひょうたん島に遠足でやって来たサンデー先生と子供たちが、突然の噴火によって漂流し始めた島に取り残されて冒険を繰り広げるというもの。
島のモデルは特に明かされてはいないが、人気が高まると共に、国内各所にて我こそがモデルだと名乗り出る”島”が続出、果てはグアムのアルパット島がモデルではないかとの説まで出たという。中でも、広島県尾道市と愛媛県今治市の境に位置する瀬戸内海の「瓢箪島」は、当初からモデルになった島ではないかとされているという。
5年に及ぶ放送で全1244話が公開されていたが、古い番組の宿命とでも言えるのだろうか、ビデオテープが高価であった事情から使い回しされ、ほとんどのマスター映像が失われていた。
NHKで確認されたものではわずかに8話、カラーで現存するのはそのうちのたった2話という状態だった。さらに、放送終了後において、人形は破損が激しかったことで破棄され、主題歌の作編曲を担当した宇野誠一郎も全ての譜面を処分してしまっているという状態となっていた。
その後、ひょうたん島は90年代にリメイクとして復活することとなるが、きっかけとなったのはNHKの倉庫の中にあった”予備の人形”が見つかったことにあった。加えて、譜面に関してはファンクラブの会員が所有していた楽譜のコピーや新たな書き起こしによって構成されることとなったという。
リメイク版は、当時声を担当していたキャストの中でスケジュールが合わなかったり、すでに鬼籍に入っていた者もいたりしたため、一部変更されている。とりわけ、ガバチョ役を担当した藤村有弘が故人となっていたため特に難航したようであり、笑福亭鶴瓶にオファーがあったようだ。
だが、中でもリメイク版の製作に大きく貢献をしたのが、当時のとある小学生の存在であった。
この少年は、当時不登校気味であった反面、何度も見返すだけでなく、一言一句をメモに取ったほどひょうたん島に夢中となっていたという。この保管されたメモによって、多くの回がリメイクを果たすことが可能となったのである。
因みに、その少年は現在放送作家の傍ら、ひょうたん島ファンクラブ会長を務めている。
多きの奇蹟の結び合わせによって、こんにちに至るまで高い人気を獲得しているひょうたん島。そんな本作には、とある裏の設定が存在しているという都市伝説も囁かれている。
それは、「ひょうたん島が死後の世界を描いたものだった」というもの。
本作においては、狭い島に取り残されれば発生するはずの「食糧危機」といった問題は一切発生せず、また取り残された子供たちの親も全く登場していない。その理由は、子供たちが皆、噴火によって命を落としており、ひょうたん島という舞台がそもそも死後の世界であったのだということとして語られる。
このひょうたん島死後の世界説は、原作者が実際にそのようなことを語ったことがあるという触れ込みによって、事実として大きく流布されることとなった。
だが、これについては少々事情がある。きっかけは、ある講演会にて、「食糧事情はどうなっているのか」という質問に対し、原作者の井上が「死後の世界でも面白い」と語ったことにあるようだが、この時実はその前置きとして「こんな話もありかも知れない」と言っていたという。
つまり、死後の世界という設定については、その時の話をつなぐための井上の思い付きであり、いわば冗談半分でもあったようなものだったのである。
なお、この死後の世界説が広まったことにより、オリジナルの人形のほとんどが確認困難となっている事情も相まって、「初期の人形がグロテスクにデザインされていた」というものも加わったと言われている。
しかしながら、死後の世界説は非常に強力な都市伝説として語られており、中にはSNS上にて現職のお坊さんが仏教との関連で考察するといったこともあった。
実際、「御詠歌」や「四国霊場」といった死を連想させるものが劇中に存在していることもあり、「子供たちがまだ成仏できずに極楽浄土を目指している」という指摘は説得力を持ち、主題歌の歌詞もそうした暗喩が込められているという発想は、大々的に裏設定として受け入れられていった。
また、ひょうたん島は最高視聴率37.5%を叩き出したほどの人気を誇ったが、衰退の様子が無かったにも関わらず突如として最終回を迎えてしまった。
問題となった言われるその回は、大統領が郵便局長を兼任する「ポストリア国」を舞台に、郵便局や局長を皮肉った形で騒動を巻き起こした内容となっていた。
当時のとある大物政治家がこの回を問題視し、NHKに圧力をかけてひょうたん島を打ち切りに追いやったのではないかというのである。
要するに、当時まだ国営であった郵便事業をコケにするような内容が許されなかったということだ。これについては、晩年に井上も事情を知ったと言われている。
一方で、2人の原作者による緻密な物語、特に風刺の紡ぎ方は高く評価された面もあり、開高健は「ガバチョのような政治家が100人日本の国会にいたら、日本の政治は変わっていただろう」と言っていたと言われている。また、本作で多くの挿入歌を歌唱し、また博士役としても出演していた中山千夏は、本作の影響で議員にもなった。
【参考記事・文献】
・https://x.gd/44HPR
・https://togetter.com/li/2293640
・https://scary-story.net/scarystory/scary-story-summary/hyokorihyoutanzima/
・https://zatsugaku-company.com/hyokkori-hyotanjima-world/#st-toc-h-2
・https://scary-story.net/tosidensetu/hyokori-hyoutanzima/#toc3
・https://tabi-mag.jp/hyoutannjima/
【アトラスニュース関連記事】
人形劇「プリンプリン物語」の多くの放送回が失われたわけ
戦時下に不思議な勘で命拾いをした?!人形師「辻村寿三郎」の数奇な人生
【文 ナオキ・コムロ】
画像『人形劇クロニクルシリーズ2 ひょっこりひょうたん島 ひとみ座の世界 (新価格) [DVD]』