千原ジュニアは、お笑いタレントや司会などで活躍する人物である。実兄の千原せいじと共に「千原兄弟」というコンビを結成しており、コンビではボケを担当。現在ではYouTubeでも活動を展開している。
少年時代からお笑い好きであり、当時から吉本芸人のネタをクラスのみんなに披露していたという。だが、その反面保護者達からは「一緒のクラスだと息子がバカになる」と中傷を受け、彼が友人宅に遊びに行っても親が出てきて追い返されてしまうこともあったという。
中学生の頃には不登校、その後高校も中退したことで家に引きこもるようになるが、兄せいじに誘われる形で吉本の養成所へ赴く。そこで披露したネタが喝采を浴びたことにより、芸人の道へ邁進することを決意。
当時は、青春時代が鬱屈していたこともあり宣材写真もきわめて人相が悪く、またネタに対してストイックなことも相まって「ジャックナイフ」と呼ばれ怖がられていたという。
ジュニアによると、この異名を言い出したのは東野幸治であり、「とがったヤツ」という意味合いで名指しされたことがきっかけだったという。なお、この異名は、その後東京のお笑い界に広まったが、意味合いが変わって「ジャックナイフを持ち歩いた芸人がいて、すべったら刺される」という噂として広まったそうだ。
劇場の出待ち客にもメンチを切っていたと言われるほどに尖っていた彼であるが、2001年に自身が起こしたバイクの自損事故によってそのスタイルは一変する。一命は取り留めたものの、想像を絶するほどにメチャクチャになった顔面を見て「自分はもう表舞台には出られず放送作家になるんだ」と考えていたという。
しかし、多くの先輩芸人たちが見舞いに訪れ、中でも東野が見舞いで差し入れてくれた「パペポTV」の最終回ビデオが決定打となった。
パペポTVは、笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が1時間ただただトークを展開する伝説の番組であるが、その最終回は島田紳助、明石家さんま、村上ショージがゲスト出演するというあまりにも豪華なものとなっていた。これを見たジュニアは、「もう一度この世界に戻りたい」と強く思ったという。
お笑いの世界で華々しい活躍を見せる彼は、それと同時に怪談や都市伝説とも強く関わっている。『人志松本のゾッとする話』など怖い話を披露する場では、FUJIWARA原西の『ブランコの女』をはじめとして、後輩芸人の体験談をよく語っている。本人の持ち話もあり、中でもタクシーに乗って来た女性客の話や、ある2組のカップルの話は有名だ。
怪談以外でもオカルトには関わりが強い。不定期特番としてたびたび放送されている『やりすぎ都市伝説』は、元々、彼を含め今田耕司や東野幸治などが出演していたバラエティ番組『やりすぎコージー』の中の1コーナーであった。
現在では、関昭夫を筆頭にディープな内容で展開されている番組となっているが、このコーナーができるきっかけとなったのは、ルミネの楽屋での雑談だったという。ジュニアによれば、「当時は勝手に作ってた」とのことで、トイレの大手メーカーである「INAX」と「TOTO」の創業者は兄弟であり、「INAXTOTO」と逆から読むと「OTOTXANI」(弟×兄)になるというように、芸人のノリで創作していたそうだ。
のちに、関がいわゆる「マジなヤツ」を持ち込んでくるようになったことで、ジュニアは一つの番組になると感じたという。
【参考記事・文献】
明石家さんま、千原ジュニアがバイク事故で芸人としての復帰を諦めていた時に『パペポTV』最終回が希望を繋いだと明かす「東野が見舞いで差し入れて…」
https://radsum.com/archives/66952
千原ジュニアの若い頃はヤンチャだった?むかしのでんせつエピソードまとめ!
https://x.gd/gsVDH
千原ジュニア、「やりすぎ都市伝説」誕生のきっかけ明かす「当時は勝手に作っててん」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/09/25/kiji/20210925s00041000563000c.html
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【文 ZENMAI】
画像『prints (プリンツ) 21 2009年夏号 特集・千原ジュニア』