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タイガーマスクを追い詰めた最大のライバル「ブラックタイガー」

1981年に、アニメとのタイアップから誕生し絶大な人気を博したタイガーマスクは、ダイナマイト・キッドなど多くの刺客を前に奮闘を繰り広げていた。そんな中、1982年4月21日に突如としてデビューを果たしたのがブラックタイガーであった。

ブラックタイガーは、初代タイガーマスクのライバルとして現れた存在であり、キャラクター自体はアニメの終盤でも悪役レスラーとして登場していた。事実、彼の存在は刺客そのものであり、当時生放送されていたこの試合に釘付けとなった子供たちが殺到。

当時を振り返る人達の多くが口を揃えて漏らす感想は「異様さ」に集約されるだろう。豪快かつ緻密なプロレスを展開していたタイガーマスクは、まさしくヒーローと呼ぶにふさわしい存在として、それまで戦いを繰り広げてきた。しかし、ブラックタイガーとの試合はそれまでと比べあまりにも異質であったという。

最大の理由は、タイガーマスクがブラックタイガーに対し大苦戦を強いられ、攻められっぱなしの状態が続いたという点だ。タイガーマスクVSブラックタイガーの試合という、まるでアニメの世界が現実化したかのような試合は、当初胸を躍らせる子供たちも多かった。

だが、いざ火蓋が切って落とされるとブラックタイガーの実力は”本物”であり、タイガーマスクはボディプレスを自爆させ、切り札であるジャーマンスープレックスをかけようとしたところにブラックタイガーが股間を蹴り上げてかわし、さらには原爆固めですら失敗してしまった。

この試合は、両者が転落してリングアウトしたことでゴングが鳴り、辛くもタイガーマスクの防衛がなされた結果となった。一方で、もしこの試合に判定があったならば、勝敗は明らかにブラックタイガーへ軍配が上がっていただろうという思いが大多数を占めていたようである。結果的に、タイガーマスクの”負け”とはならなかったものの、子供達にとってヒーローとしてのタイガーマスク像が大きく揺らぐことになったことは間違いない。

その後、ブラックタイガーは日本に残留し、ビッグファイトシリーズのフル参戦となった。5月6日、福岡で行われたWWFジュニアヘビー級王座決定戦ではグラン浜田と対戦、この時タイガーマスクが負傷によって欠場、選手権を返上し空位となっていたことから両者の決定戦となっていた。そして、延長戦を制したブラックタイガーが新王者に輝いた。

数々の激闘の中で謎めいたのは、やはりブラックタイガーの正体についてであった。実際のところ、タイガーマスクの正体も当時は明かされていなかったが、察しが良いファンの中にはその正体が佐山聡であることを薄々感づいていた者も多かった。

ところが、ブラックタイガーの正体については全く見当がつかない人が多かった。このことも、ブラックタイガーの異様さを際立たせる要因になっていたことは確かだろう。

のちにその正体は、タイガーマスクこと佐山聡が、若手時代にイギリスで「サミ・リー」というリングネームで活躍していた時代の最大のライバルであったマーク・ロコであることが明らかになった。タイガーマスクが苦戦を強いられた最大の理由は、お互いに手の内を知りつくした者同士の攻防だったからだ。

以後、1993年には新日本プロレスで2代目ブラックタイガーがデビューし、現在までに九代目を数え継承されている。一時代を築き上げた初代ブラックタイガーことマーク・ロコは、2020年7月31日に69歳でこの世を去った。

【参考記事・文献】
佐山サトルを追い詰めた初代ブラックタイガー・マークロコの強さ
https://crus-art.com/1181/
暗闇の虎~ブラック・タイガー追悼~
https://ameblo.jp/maskedsuperstar2/entry-12616675872.html
タイガーマスクのライバル、ブラックタイガー誕生!
https://igapro24.amebaownd.com/posts/4821574

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【文 黒蠍けいすけ】

画像 ウィキペディアより引用