タイガーマスクは、1981年に初めてリングに登場した虎のマスクを被ったレスラーである。身軽で華麗な蹴り技、そして空中殺法と呼ばれる飛び技を得意とし、その人気はアントニオ猪木やジャイアント馬場をも凌ぎ、新日本プロレスの黄金期を築き上げたと言われるほどのブームを巻き起こした。
もともと『タイガーマスク』とは、1968年から71年にかけて連載されていた梶原一騎原作の漫画作品である。1969年にはテレビアニメもスタートし、また原作とは異なった展開により最終回を迎えたアニメは、昭和アニメの名シーンとして現在も知られるほどである。
タイガーマスクが完結してからおよそ10年後に『タイガーマスク二世』がスタートし、1981年4月20日にはアニメも開始された。このアニメ開始との連動企画によって、現実のタイガーマスクが誕生することとなった。
初代タイガーマスクを務めたのは佐山聡であった。彼にタイガーマスクを任せようとした新日本プロレスが、当時遠征中であった彼をイギリスから呼び戻そうとしたところ、彼が現地で税金を払っていなかったために出国で足止めされるというトラブルに見舞われた。
しかし、驚くべきことに、この時総理大臣経験もあった自民党の大物議員によって、外務省を通じて佐山は出国をすることができたという驚くべきエピソードがある。
1981年4月23日、ダイナマイト・キッドを相手にタイガーマスクはデビューしたが、この時に登場したタイガーマスクの姿に人々ははじめ失笑していたという。実は、佐山の出国時のトラブルに注力していたせいで肝腎のマスクの発注を忘れてしまっていた。佐山曰く、そのマスクはシーツにマジックで描き込んだようなお世辞にも良い出来とはいえない代物であり、佐山自身もそれを見て絶句したという。
だが、その出来の悪さを覆い隠すように、タイガーマスク自身が魅せるキレのある動きと華麗な技の数々に、漫画やアニメのタイガーマスクそのものが本当に現れたのだと観客たちは一瞬で魅了され、一気にタイガーマスクはブームとなった。因みに、この時の粗雑なマスクはその日限りのものとなった。
なお、佐山自身はマスクをかぶってリングに立つことをかなり嫌がっていたという。そもそも、佐山に白羽の矢を立てたのはアントニオ猪木であり、彼の右腕として働いていた新間寿が断り続ける佐山に対し説得を続け、「猪木の顔をつぶすことになってしまう」と泣き落とししたことでやっと承諾を得たという。漫画・アニメとのタイアップが、この時どれほど社運を賭けて行なわれていたのかがよくわかる。
タイガーマスクは、その後ブラックタイガーや小林邦明などのライバルたちと名勝負を展開していき、中でも小林の「マスクはがし」という反則技はお約束の抗争として人気を博した。また、彼の繰り出す空中殺法は今日でも使う者は何人もいるが、タイガーマスクが異なっていたのはこの空中技をやる際に反動をつけないという特徴であり、次に何が起こるかわからないという展開で見る人々を熱狂させた。
しかし、人気絶頂の中で初代タイガーマスクは約2年という短い期間でその活躍に幕を閉じることになった。
この引退は、1983年5月にタイガーマスクの原作者である梶原一騎が編集者への暴行容疑で逮捕されたこと、そしてタイガーマスク人気の収益が猪木の個人事業へ流用されるといったトラブルが重なったことが原因であるという。
佐山は、その正体を明かさぬまま契約の解除を告げて、突如引退を宣言した。8月10日のことであった。
引退直前、盟友であった小林に対しては「もう疲れてしまった」という言葉を漏らしていたという。正体を明かせない人気者であったということから、結婚式も極秘に行われ、しかも知己の人間を呼ぶこともできなかったという。タイガーマスクという役割は、その後の人生をも大きく左右させた。
タイガーマスクという存在は、プロレスそのもののスタイルを大きく変え、また代を重ね現在でも人気を博している。だが、それでも初代以上の人気を獲得した代は他にないとも言われている。子どもから大人まで魅了した初代タイガーマスクは、まさしく伝説的ヒーローであったと言えるだろう。
【参考記事・文献】
「ひどい覆面」から始まったタイガーマスク伝説
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/070300016/092300038/
衝撃引退から40年で振り返る「初代タイガーマスク」猛虎伝説 佐山サトルが語ったダイビング・ヘッドバットの極意
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/04161104/?all=1&page=2#goog_rewarded
タイガーマスク
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF
《佐山聡本人が明かす秘話》「もう名声も何もいらない…」 “初代タイガーマスク”が人気絶頂のなかリングを去ったワケ
https://bunshun.jp/articles/-/50484
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【文 ZENMAI】