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夭折した女優「夏目雅子」 芸能界に不信感を抱いていた母親との確執

夏目雅子は、1970年代から80年代半ばにかけて活躍した日本の女優。27歳という若さでこの世を去ったが、その美しさや演技力から現在でも伝説の女優として語り継がれている。

彼女を語る上で欠かせないのが、何といっても1978年に放送されたドラマ『西遊記』で三蔵法師役を演じたことだ。それまで、三蔵法師といえば男が演じることが普通であり、女性が演じたものとしては彼女が初めてとなった。

その姿は、高貴で中性的な印象を与えたことで視聴者の印象に強く残り、「西遊記」を大ヒットさせる大きな一因ともなった。また、この女性三蔵法師の影響力はすさまじく、その後「西遊記」を題材にした作品の多くで三蔵法師役に女性が起用されることがほぼ定番化していった。

1982年に公開された『鬼龍院花子の生涯』では、鬼龍院政五郎の養女・松恵を演じ、凄みの利いたセリフ「なめたらあかんぜよ!」が当時の流行語にもなった。また、この映画では彼女のヌードも話題となり、当初はヌードに代役が考えられていたが、「他の女優さんがやってきたのに私だけ代役はおかしい」という本人の意向のもと実現したものであるという。本作によって彼女は、ブルーリボン主演女優賞も獲得。

初期の頃は、「お嬢様芸」と揶揄されることも多かった彼女であるが、その女優としての意志の強さは非常に高いものであった。しかしながら、彼女の女優としての活躍に実の母親は良く思っていなかったという。そもそも、夏目雅子という芸名を使用する理由も、母親が「恥ずかしい」という理由から本名の使用を禁止したためであったという。彼女の母親は、芸能界に対して強い嫌悪感を抱いていたそうだ。

母親は、実の娘である彼女と女優・夏目雅子としての彼女をはっきりと区別しており、メイクを落とさずに帰宅した際は「小達雅子(本名)に戻ってから帰ってきなさい」と怒ったというエピソードもある。さらに溝を深めるきっかけにもなったのが、先の「鬼龍院花子の生涯」であった。

この映画によって、女優としてのインパクトを知らしめることとなった彼女であるが、問題となったのは彼女扮する松恵が夫の死を看取る場面でのことであった。彼女によると、このシーンは実際に自分の父親の最後を看取った母親の姿を生かした演技であったという。高く評価された映画であったこともあり、彼女は母親を試写会に招待し、そのエピソードも直接母親に語った。ところが、女優活動が認められるどころか、「そんなことまで演技に使わなくてはならないのか」と一層芸能界を嫌悪するようになったようだ。

だが、そんな母親も彼女が白血病と診断され、闘病することになったことで気持ちに変化が訪れた。これまで避けていた、夏目雅子の出演作品を病室で彼女と一緒に見るようになり、次第に夏目雅子という存在を受け入れていったという。

この闘病時、新薬の副作用により毛髪が抜けてしまうことに懸念を持っていた母親が、そのことを彼女に伝えるた際、三蔵法師役を演じた「西遊記」を引き合いに出し、「私、日本で一番坊主頭が似合う女優って言われてるんだよ」と話したエピソードはあまりにも有名である。

因みに、彼女の死因と言われる「急性骨髄性白血病」については、西遊記のロケで中国を訪れた際に被曝したものだとの噂もあった。これについては、他の共演者にその症状が見られないことから、噂の域を出ておらず信憑性は低いと思われる。

ただ、本当の死因は白血病ではなかったとの説もある。実際の所、彼女は抗がん剤の副作用に耐え続けた末に、寛解に入っていた。だが、その矢先に抗がん剤治療の影響でひどく免疫力が低下してしまい、風邪を引いてしまったことから肺炎を併発、そしてこの肺炎こそが直接の死因になったとされている。

あまりにも早い旅立ちとなってしまった夏目雅子であるが、存命であれば今もなお現役の女優として活躍していたに違いない。

【参考記事・文献】
芸能活動に大反対した母親との確執。そして白血病…女優・夏目雅子の激動の生涯
https://www.fnn.jp/articles/-/754
鬼龍院花子の生涯:なめたらいかんぜよ!【映画名言名セリフ】
https://review-movie.hateblo.jp/entry/onimasa
夏目雅子さんってどんな人だったの?生い立ちやエピソード、代表作を紹介
https://medical-drama.com/masako-natsume/#toc11

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【文 ZENMAI】

画像『女優 夏目雅子 (キネマ旬報ムック)