坂口征二は、現在新日本プロレスの相談役、IWGP実行委員会の一員を務める元プロレスラー。昭和の新日を代表するスター選手として人気を博し、「世界の荒鷲」や「ビッグ・サカ」といった異名で知られている。
身長196cm、体重125kgの巨躯に恵まれた彼はもともと柔道家であり、1965年のリオデジャネイロ世界柔道選手権で80kg超級銅メダルに輝いた。その2年後の1967年に日本プロレスに入団したが、そうした大物柔道家がプロレスに入団という出来事は、マスコミの注目の的。海外修行中には、ビッグ・サカのリングネームで対戦を繰り広げ、帰国後はジャイアント馬場やアントニオ猪木に次ぐ大型選手となっていった。
日本プロレス時代は、ジャイアント馬場とともに「東京タワーズ」という長身タッグが人気となり、その後新日本プロレスに移籍してからはアントニオ猪木の良き夫婦役として黄金コンビと称された。
ポジションとしては、アントニオ猪木の新日においてナンバー2としての印象が定着しているが、いわゆる偉い順に前列から乗るのが決まりとなっている新日の移動バスの席では、常に坂口が最前列であり猪木がその後ろであったという。また、実力という面からしても、一説によれば日本人最強は坂口ではないかということをミスター高橋などが語っている。
坂口はまた、非常に温厚な人物であるとも評される。藤原組長によると、一番酒が強かったレスラーとして坂口の名前が第一に上がり、宴会をやると藤原を含めドン荒川や坂口が最後まで残り、坂口に至っては藤原と荒川が競った末に喧嘩へ突入しようとするところを止めてくれていたそうだ。
そんな誰からも「いい人」と称される坂口であるが、次のようなエピソードもある。
1983年6月2日、この日第1回IWGP決勝においてアントニオ猪木が失神するという事件が発生。この時はセコンドとして坂口がおり、木村健吾に対して気道確保のために舌を出せと指示、猪木の舌出しの状態を見た解説席の山本小鉄も「危険な状態」と話していた。このことから、舌出し失神事件とも呼ばれている。
この事件については、本当の失神であったという声もある一方で、会場に来ていた借金取りから逃れるため、あるいは決勝の大舞台でプロレスの凄さをアピールするための猪木の演出だったのではないかとの噂も流布。
猪木は病院に運ばれ、しばらく入院ということになる予定であったが、見舞いに来た妻の賠償美津子とともに深夜病院を抜け出しており、新日営業本部長の新間寿も「さすがにマズい」とのことで猪木を病院に帰らせたという話すらある。
結局、この真偽について猪木から語られることは無かったが、この翌日に事の顛末を聞いた坂口が、ハワイ行きの航空券を購入して姿をくらますというような事態が発生。会社の書置きには「人間不信」と書かれており、後年の彼のインタビューでは「自分自身が情けなかった」ためとの理由が明かされている。
また、1998年6月5日、日本武道館大会の記者会見にて小川直也に記者たちの前で殴られ、以来10年以上彼と絶縁状態になった。
小川は、当時引退した猪木が旗揚げをした新団体「UFO」のエースとして引き出されていた。新日との因縁作りとして猪木が画策していたものであったが、坂口は小川と同じ大学の後輩であったことや新日所属ではないにもかかわらず猪木の下についていることを良く思っていなかった。小川と絡んでほしいという提案を断わりつづけたものの、猪木側がこれを強行し会見における小川の挑発行動へと繋がった。
この失神事件と小川との会見の出来事は、坂口にとってプライドが大きく傷つけられ、そして彼自身それがどうしても許せなかったことによる反応であったことが伺えるだろう。
【参考記事・文献】
坂口征二「人間不信」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”
https://weekly-jitsuwa.jp/archives/57756
坂口征二さんのエピソードありましたら教えてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1381656873
関節技の鬼・藤原喜明組長が語る「いちばん酒が強かったレスラーは……」【レスラーめし】
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/kemuta-otsubo/18-00283?msockid=3655a04134e468092d82b33535c96994
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【文 黒蠍けいすけ】
画像 ウィキペディアより引用