をのこ草子(あるいはをのこ草紙)とは、八代将軍徳川吉宗が享保の改革を行なったころの1730年代に成立した書物である。
草子とは、そもそも「枕草子」にもその語が使用されているように、日記や物語が執筆された書物を指しているが、をのこ草子は作者不明である上に原本も現存しておらず、また、どのような目的で編まれたものであるかも不明だという。
をのこ草子が最初に注目されるきっかけとなったのは、古神道系宗教団体「神道天行居」の開祖であり神道霊学の研究者でもあった友清歓真(ともきよよしさね)の著書による。1936年に発行された彼の著書『神道古義地之巻』によると、彼はとある人物よりをのこ草子が書かれた雑誌の切り抜きを入手したことが、をのこ草子の分析に携わるきっかけになったという。
彼は、をのこ草子を「急角度の方向転換をなさざる限り、人類の努力の大半が無為な、又は有害な行動となって人類そのものへ報いられんとしつつある」ことを伝える書物であると主張した。
2000年代に入って以降、をのこ草子が再び注目を集めるようになった理由は、「今より五代二五〇年を経て世の様変わり果てなむ」という一節による。執筆された時期から250年後を計算するとおよそ1980年代に相当するが、をのこ草子はその時期から現在として未来に至る世の現状を予言したのではないかとの解釈が大きく広まった。
例えば、「切支丹の法いよいよ盛んになりて、空を飛ぶ人も現はれ、地をくぐる人もあるべし」は、それぞれ日本の西洋化と飛行機・ロケットの登場、地下鉄・地下街の出現を意味しており、「風雨を動かし雷電を利用する者」とは発電所の利用あるいは気象を操るHAARPを指しているとの見解もある。「死したるを起こす術も成りなん」は、クローン技術のことを指しているのではないかとも言われている。
「妻は夫に従わず、男は髪長く青白く、痩せ細りて、戦の場などに出て立つこと難きに至らん」については、現代に流行した肉食女子や草食男子のようなものを言い当てたものであるとの意見もある。「仁や義も軽んじられている」「斯くていよいよ衰え行きぬる其の果に、地、水、火、風の大なる災い起り」などから、古くからの美徳は衰退していき、天変地異も多数発生していくという意味と取って良いかもしれない。
最後には、神の如き指導者が現れ「人民悔い改めてこれに従い、世の中、再び正しきに帰らなん」、ただしそれまでは「世の人狂い苦しむこと百年に及ぶ」という。
こうした、現在の道徳の荒廃や災害の多発、あるいは文化の進歩といった点の多くが符合しているというのが、をのこ草子を予言書たらしめる根拠となっている。確かに、現代の我々へ投げかけた「警告の書」とも一見思えるをのこ草子であるが、予言とは常に読む側の解釈の域を脱し得ない。そのため、たまたま1980年代以降の世相などに照らし合わせられたに過ぎないとの反論も当然ながら存在する。
そもそも、神の如き指導者によって人民と世の中が正しい方向へ向かう、というこの論理は、聖人が政治を行なえば世の中は泰平になるという儒教的な思想そのものだ。このことから、をのこ草子の執筆は少なくとも儒教を修めた、あるいは儒教に触れたことのある人物であることは間違いないだろう。
江戸幕府は、自らの正当性の根拠を儒教に求めようとしたため、儒教(特に朱子学)を重んじるよう唱えていた。しかし、その裏では、「皇帝の出身民族が悉く不一致な支那よりも、万世一系の日本こそ真の中国である」と説いた山鹿素行など、儒教の理論を逆手に取った尊王思想が萌芽していたことも注目に値する。
世の常識が反転するというような言い回しは、そこまで突飛な言説であるとは言えず、書こうと思えばどうにでも書けるものではあるだろう。言うなれば、をのこ草子の理論はその当時の現指導者、もっといえば幕府に対する不満であり、尊王思想を根底に置いた批判の書であったというのが正体であるのかもしれない。
【参考記事・文献】
山口敏太郎『日本史の都市伝説』
江戸時代に書かれた日本の預言書『をのこ草子』とは
https://occultlab.com/urbanlegend/3802/
“草食男子の出現”を的中させた江戸時代の予言書
https://jisin.jp/life/living/1623795/
『をのこ草子』が予言した恐ろしい未来の日本!予言の原本と現代語訳を大公開!
https://naosikiko.hatenablog.jp/entry/Sawko
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【文 ナオキ・コムロ】
Roger CascoによるPixabayからの画像