妖怪

天狗の仲間?山深くに現れる謎の光る存在「松明丸」とは

松明丸(たいまつまる)とは、江戸時代の画家・鳥山石燕の最晩年の妖怪画集『百器徒然袋』(ひゃっきつれづれぶくろ)に描かれている妖怪である。猛禽類な顔に翼を持ち、その体から炎を上げて飛行している姿で描かれている。

石燕の解説によると、「天狗礫」(てんぐつぶて)から出る光とあり、「深山幽谷の杉の梢」を住処にしているという。天狗礫とは、同じく石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれている怪異であり、突如空から石が投げつけられたように降ってくるという現象を言う。

紹介される書籍では、先にあった天狗礫の一種、あるいは光ることから天狗火・鬼火といった怪火のたぐいと説明するものもあれば、もっとダイレクトに天狗の仲間と紹介するものもある。

『百器徒然袋』は、石燕の他の画集に比べて彼の創作の意図がはっきりと言い表されていると言われている。この松明丸の解説文も「夢心におもひぬ」(夢心に思ってしまう)という言葉で締められていることから、創作妖怪ではないかとも言われている。ただ、捉えようによっては「松明丸」という名前は実際にどこからか得られ、姿やその性質などを夢想したという意味合いにもとれるかもしれない。

水木しげるの『日本妖怪大鑑』では、その松明丸にまつわる逸話が掲載されている。時は明治末期のこと、伊豆の河津郷の村長が、夜遅くに役場の仕事を終えて帰宅していた。通り道である片瀬山をいつものように越えようと峠の杉の木の下まで来たところ、そこに「松明丸」が現れた。

度胸が据わっていた彼はそれに動じず通り過ぎようとすると、松明丸は村長を抱え上げ、なんと彼を谷底へ投げ入れてしまったというのだ。村長は、深手を負ってしまった上に帰り道が解らなくなってしまったために谷底で夜を明かし、翌朝農民たちに発見されたことでやっと家に戻ることができたという。

「天狗」と名の付く妖怪・怪異は、多くの場合良いものではない。前述した「天狗礫」は、当たると病気になってしまう、漁師などの場合は当たると獲物が取れなくなる、といった伝承が残っており、遠州の海辺に現れたと言われる「天狗火」は、出会うと病気を患ってしまうため、見えた時はその場にひれ伏して見ないようにしなければならないという。

出典は定かではないが、松明丸は仏教の修行を妨害しにやってくるものであるとの解説がなされているものもあるため、天狗火や天狗礫と同様、人間からすると脅威の存在として受け止められるものであろう。

日本を代表する妖怪・天狗には、「実は宇宙人だったのではないか」とする説も存在している。そのように見ると天狗火はUFOの一種だったのではないかと見ることも可能だ。実際、UFOの至近距離での遭遇の際には体調を悪くするといった報告がいくつも見られており、これは天狗火の特徴とも似ている。

そう思うと、先の村長の逸話も、実はアブダクション事件であった可能性もあり得るだろう。

【参考記事・文献】
水木しげる『日本妖怪大全』
水木しげる『日本妖怪大鑑』

百鬼徒然袋 巻之中
https://park.org/Japan/CSK/hyakki/zukan/turezure/naka/taimatu.html
松明丸(たいまつまる)
https://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2013/04/21/160609

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用