1993年から放送されていた番組『クイズ!紳助くん』は、関西屈指の人気を誇ったと言われる人気クイズ番組だった。
2011年の島田紳助引退直前まで放送されており、復活希望の声も絶えないという。しかし、この番組では若手芸人に無茶な企画を行なわせる内容のものも多々見られ、中には傷ましい事故も発生したこともあった。
中でも大きな話題となったのは、2001年正月早々に行なわれた番組ロケでの話である。
この時、「なにわ突撃隊」と呼ばれる若手芸人たちのチャレンジ企画の中に参加していたお笑い芸人の一人、西科仁(にしなじん、当時は西科孝仁)は麒麟などと同期の当時22歳、吉本新喜劇では白いスーツに身をまとったヤクザ役でレギュラー出演もしていた期待の若手であった。
1月3日から4日かけて行われたそのロケ地は、映画『ああ野麦峠』の舞台で知られる岐阜県と長野県の県境に位置する野麦峠。企画は、年明け間もない雪深い中で江戸時代の行商人にならい鰤を入れた篭を背負い峠を歩いて越え、その際峠付近にテントを張って野宿もするというきわめて過酷な内容であった。
彼とスタッフたちは5時間をかけて山を登って野宿、翌朝4時には下山を始めた。
しかし、それから数時間後のこと。指の異常を訴えた西科の手を見てみると、なんと両手の親指以外の8本の指が赤紫に変色していた。実は彼のはめていた手袋は指先が露出するタイプのものであり、それが長時間寒風に晒されたことが原因であったようで、結果として彼は即入院となった。
凍傷は極めて重度なものであり、3本は治癒したものの、左手の人差し指は2.5cmの切除、残りの4本も先端の一部を切除というものとなってしまった。
実のところ、この番組にて惨事ともなりかねなかったような事態は他にもあった。
1995年に熊本県の球磨川で急流下りのロケを行っていた際、「なにわ突撃隊」の中のメンバー5人が川に投げ出されて流されてしまい、皆無事に救出はされるも一歩間違えれば死者が出ていたほどの事故となった。
この急流下りと前述の野麦峠の企画は、下請け製作会社のとある社長がディレクターを務めており、いずれも彼がキャスティングなどを任されたものであった。
その人物は、面白い絵を撮るためならどのような無茶ぶりでも若手に要求し、時には暴行すら加えていたと言われている。彼が担当したものが視聴者側からすると好評だあったことや、理不尽ながらも逆らえない若手の弱みに付け込んだ人災だったのではないかとの説もある。
なお、指を切断することとなった彼の状況は、本人も公表することを禁じられていたという。
そのあまりにも無謀あるいは危険な内容から伝説にもなった『電波少年』という番組シリーズがかつて存在したが、放送時期からすると『クイズ!紳助くん』は同時期の放送だったこともあり、視聴者がそのような無茶な企画を行なう様を求めていたという時代の事情もあったのかもしれない。かと言って、それが許されるものであるかについてはまた別の問題である。
【参考記事・文献】
指切断や死亡事故も…『クイズ!紳助くん』の呪いとは?
https://www.excite.co.jp/news/article/E1475660110180/
島田紳助の番組で、指を切断した芸人はいますか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1272560942
左手の親指以外4本が壊死した吉本芸人「西科孝仁」。クイズ!紳助くんのロケで
https://ocococo.com/?p=5323
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【文 黒蠍けいすけ】