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徹底したお笑いの分析でのし上がった「島田紳助」の漫才コンビ時代

画像『昭和の名コンビ傑作選 第2巻 島田紳助・松本竜介: DVD付きマガジン よしもと栄光の80年代漫才 (小学館SJ・MOOK)

日本を代表する司会者として知られ、2011年8月に芸能界を引退した島田紳助。「開運!なんでも鑑定団」や「行列のできる法律相談所」「オールスター感謝祭」など、人気番組を多く担当していた一方で、元マネージャー女性への暴行やお笑いトリオ東京03への恫喝などによって、いわゆるアンチが非常に多かった人物でもあった。

特に批判が集まった出来事として有名なのは、アニメ『ONE PIECE』の主題歌にまつわるものだ。当時放送されていた島田紳助が総合司会を務める『クイズ!ヘキサゴンII』の出演メンバーによって、アニメ『ONE PIECE』第12期のOPテーマ「風をさがして」が、2009年12月から翌年9月まで使用された。

この曲は、島田紳助が作詞を担当したものであったのだが、事前に資料として渡されていた「ONE PIECE」の原作漫画本全巻を、漫画が嫌いという理由から全く確認することなく作詞したと、自身の番組で語った。次女からも「全然ちゃうで」と言われたその歌は、当時放送されていた「ONE PIECE」のイメージと全く合っていないと非難が殺到し、さらに前述の発言から「仕事を引き受ける身としてあり得ない」などの批判も相次ぐほどの炎上となった。

そんな島田紳助であるが、決して勉強嫌いというようなことはなかった。

元々、漫才コンビ「紳助竜介」として活動していた頃のきわめて早い段階から、彼はその才能が高く評価されていた。野心家であった彼は、それまで定番であった漫才のスタイルに反発し、「俺が漫才を変えてやる」という強い意志のもとで「リアルな若者の会話」を漫才に取り入れることに苦心した。しかし伝統の壁は厚く、当時の先輩たちからの批判も多かったが、「半年後に抜きますよ」とこれまた挑発的に応戦したという。




紳助竜介の漫才は上岡龍太郎も絶賛するほどであり、トーク番組『鶴瓶・上岡パペポTV』の最終回にて、島田紳助が飛び入りゲストで登場した際には、昔彼が「今までにない漫才をやりたいんです」という回答に感激した上岡が、「今まであった漫才全部言うたるからそれやったらあかんぞ」と語ったというエピソードも聞かれた。

18歳で夫婦漫才コンビ島田洋之介・今喜多代に弟子入りした彼は、この時から自前のノートへ様々な事柄を書き込んでいたという。その内容は、将来の展望から作戦、そして他人のネタの批評などを事細かくデータ収集し記入したものであり、壁にはそのデータをもとにした棒グラフ・折れ線グラフを書いた紙を大量に貼り付けていたほどであったそうだ。

だが、登り詰めたかに見えた彼は突如として漫才コンビを解散してしまう。その理由は、太平サブロー・シローの存在や当時無名であったダウンタウンが登場したことによって、「こいつらの漫才には勝てない」と悟ったためであるという。

コンビ解消後は、司会業へと移っていった彼であるが、それを惜しむ声も少なくはなかった。中でも、立川談志と対談した際には、「自分の才能を表現するのに漫才では行き詰ってしまった。150キロのストレートを今までやってきたが、カーブやシュートなどを覚えていこうと思った」と語ったところ、「そりゃだめだ、間違ってる」と一括された。

また面白いネタを考えようとしなくなり、視聴率を気にするようになったという発言に対して、談志は「堕落だ」「自分の才能に対する冒涜だよ」と説いた。結果として、司会業で名をはせるようになった島田紳助に対して、晩年の談志は見限ったような様子も見られたと言われている。

彼が立川談志の言うように、司会ではなく、違う形で自身の内容を表現できるスタイルを見出すことができていたのなら、行く末は大きく変わっていたかもしれない。

【参考記事・文献】
島田紳助
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E7%B4%B3%E5%8A%A9
紳助の傲慢発言に批判殺到 アニメ主題歌「資料見ずに書いた」
https://www.j-cast.com/2010/11/04079985.html?p=all

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)