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高倉健と対照的だった「菅原文太」の数奇な縁

画像『トラック野郎 度胸一番星 [DVD]

俳優、声優そしてラジオパーソナリティなどで活躍した菅原文太は、鶴田浩二や高倉健らと並び、日本の任侠映画を支えた代表的人物だ。

大ヒット作品『仁義なき戦い』シリーズへの出演をはじめとして、昭和50年に公開された映画『トラック野郎』では主演を務め、また任侠映画とはまた違ったコミカルな役柄を演じ、低予算映画でありながら好評を得たことでシリーズ化されるほどのヒットとなった。

菅原文太と共に並んで名前が挙がるのはなんといっても高倉健である。だが、彼らは全くと言って良いほど正反対の関係であった。

菅原は高倉の二つ年下であり、また、俳優業としても高倉は先輩の立場であった。当然、高倉の作品を見てきた菅原にとって彼は憧れの存在そのものであった。そして、初めての共演で高倉と会った際、彼の「よろしくお願いします」腰を追って頭を下げる挨拶に感激したという。

『神戸国際ギャング』にて共演したガッツ石松によれば、高倉が撮影中の事故でケガを負ってしまった時、監督やスタッフが高倉の絡まないシーンの撮影を続けようとしたところ、菅原が「健さんがケガしたのに撮影ができるわけないだろう」と怒り、撮影を中断させたという。後年には、高倉が「東映を背負って立つ菅らしい俳優になられましたね」と菅原を評するほどの存在であった。

しかし、両者の演じた役割は全く別のものへと変容していった。高倉が寡黙な役を演じてきた一方で、前述したように菅原は『トラック野郎』などの派手めの役を演じていくようになっていく。

『トラック野郎』は、当時のトラック運転手のみならず現代でも憧れを持つ者が少なくないほどの影響力を持ち、派手な装飾をトラックに取り付けた「デコトラ」を当時流行させた。




両者は個性が強すぎたがゆえか、共演作がシリーズになることは無かったという。このため、二人の不仲説も囁かれるようになったが、実際に両者の間で共演NGであることや不仲であることを示す根拠と呼べるものはない。ただ、菅原には高倉に対してライバル視はしていたのではないかと言われている。

『幸福の黄色いハンカチ』は劇場版では高倉が主演を務めたが、リメイク版のテレビドラマ版では菅原が主演を務めた。両者に対立があったのであればこうした出演はあり得ないとも言えるが、一方で、菅原が高倉とは違った自分流で演じるという対抗意識が内にあったのではないかという見方もある。

この他にも、生涯を通じて俳優に徹した高倉とは違って、俳優の他にジブリ作品などで声優も行ない、さらに東日本大震災にともなって俳優を引退し、以後は農業に従事していたという菅原。出身地が互いに九州と東北ということなどから、彼らは正反対とも言える個性で活躍していた。

そんな両者は、奇しくも2014年の11月という同時期(10日に高倉、28日に菅原)に亡くなった。対照的であった二人であったが、菅原が高倉をまるで追うような形で同月に死去したのは、なんとも数奇な縁であったといえるだろう。

因みに、アニメ『クレヨンしんちゃん』の登場人物「組長先生」の愛称で知られている「高倉文太」は、両者の名から取られて名付けられた名物キャラであるが、彼の声優を務めた納谷六朗は2014年11月18日、高倉と菅原が亡くなった各日の間に亡くなっている。

【参考記事・文献】
東映2大スターのライバル秘話 高倉健を強く意識していた菅原文太
https://www.news-postseven.com/archives/20210510_1657937.html?DETAIL
菅原文太と高倉健の共演作品!黄色いハンカチが不仲を否定する!?
https://lifepages.jp/kenbunta-9411
高倉健と菅原文太の2大スターが生きた映画の世界を振り返ってみた
https://entertainment-topics.jp/14869#headline_402053
高倉健と菅原文太
https://www.directforce.org/DF2013/04_salon/messages/messages-006.html

(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)