火の玉・怪火は、日本全国に分布して語られる非常にありふれた怪異の一種だ。その名の通り、人玉のように空中を浮遊し発光するものであり、「人魂」というように死者の魂とも言われていれば、何らかの妖怪が発する現象ではないかといった形で伝わっていることが多い。類似したものとして、「鬼火」や「狐火」といった名称で呼ばれることもある。
渡柄杓(わたりびしゃく)も、そのような怪火の一種として伝わる妖怪である。丹波(京都府)は北桑田郡地井村(美山町)に出現する妖怪と言われており、その地域に伝わる3種類の怪火であるテンビ、ヒトダマ、ワタリビシャクのうちの一つとして数えられているという。
その正体についてはハッキリと分かっていないが、霊を司る神の下から逃げ出した霊魂、あるいはこれから呼び出されようとしている霊などといったように、やはり霊的な存在と捉えられているようである。
なお、このユニークな名前の由来は、名の通り「柄杓」のような形をしてあちらこちら浮遊する(渡る)ところから来ているという。柄杓というのは、大元は「瓢」(ひさご)すなわち瓢箪(ひょうたん)が由来であると言われており、瓢箪をくりぬいて真っ二つに割って水を掬ったのが最初であったとされている。実際に、古都奈良の文化財にも指定されている平城宮跡の井戸から瓢製の柄杓が出土している。
瓢箪と言えば、名前を呼ばれて返事をすると吸い込まれてしまうという『西遊記』に登場するアイテムとしてお馴染みだ。こうした、邪気を吸い込んで浄化すると考えられた瓢箪に対する信仰は中国はもとより日本でも古くから信じられている。一度入り込んだ邪気は、くびれの部分が弁のような働きをするために外に出られなくなるとして神霊的な植物と見なされてきた。
柄杓のもとになった瓢箪は、もう一つ重要な道具として利用されていた。飯などを掬ったり混ぜ合わせたりする際に使用する「杓文字」だ。広島県の神泉寺の僧であった誓真が、弁財天の弾く琵琶から着想を得て、作り出したことから、宮島杓子というのが現在もブランドとして知られているが、一方で神具としても用いられている場合がある。
百日風邪などの咳を治す神をまつる神社などでは、口を護るという意味から「おしゃもじ様」といった民族神が祀られており、この他、杓文字を使用して霊を呼び寄せる儀礼のある地域もあるという。この通り、柄杓や杓文字(柄杓)など、その元となったアイテムとして瓢箪がいかに重要視されていたかがよくわかる。
柄杓は、由来となった瓢箪も含めて強い霊力を持っているものとされているのなら、神道的な解釈としてその反転したものが強い邪気に溢れた恐ろしい存在として扱われるのは明白である。水を汲むものでありながらその形状が火によって燃えているというのも、そうした反転的な意味合いを持っているのかもしれない。渡柄杓が人間に害をなしたという記録は特に見られないようであるが、語られない以上に恐るべき怪異であったのだろうか。
【参考記事・文献】
村上健司『日本妖怪大事典』
水木しげる『日本妖怪大全』
福勝寺について
https://fukushoji-kyoto.jp/about/
瓢箪から「ひしゃく」
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2015/12/20151201.html
【センター南】咳の神様「おしゃもじさま」って知ってる?
https://mrs.living.jp/denen/town_news/reporter/4016001
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【文 黒蠍けいすけ】
画像 sallies / photoAC