モンスター

人間一人を丸飲みにしてしまう鬼、妖怪「鬼一口」と神隠し

鬼一口(おにひとくち)は、1781年に刊行された江戸の画家・鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺 霧之巻』に描かれた妖怪である。

挿絵では、画面の上半分を覆うほどに大きな口元と、そこからはみ出した十二単と傍らに落ちる扇が描かれており一口で人ひとりを飲み込んでいる様が見て取れ、人を丸飲みにしてしまう妖怪でことがわかる。

「今昔百鬼拾遺」に記された解説によると、平安時代の貴族・歌人である在原業平(ありわらのなりひら)が二条の后(藤原高子、清和天皇の后)を盗み逃げたところ、あばら屋に宿っていた鬼に一口で食べられてしまった、といった旨が記されている。

その文末には、新古今和歌集や伊勢物語にもある「白玉か何ぞと人のとひし時露とこたへてきえなましものを」という業平の歌が引用されている。大意は、「あの光るものは真珠なの?と尋ねた時、露ですよと答えて私も露のように消えてしまえばよかった、そうすればこんな悲しい思いをせずに済んだのに」という具合だ。
先のシチュエーションは、実は伊勢物語の記述に見られるものであり、業平が恋焦がれた女性を連れて逃げ、あばら屋(蔵あるいは洞窟の説もある)に女性を隠し入れることとなった。業平は入口に座って夜通し見張っていたが、なんと女性のもとに鬼が現れ一口で食べてしまった。
助けを呼んだ女性の声は業平の耳には届かず、夜が明けて業平が奥の方へ戻るとすでに女性の姿は無かった。前記の歌がこのような出来事に基づいて詠まれたことを考えると、その悲哀の程が理解できるだろう。

伊勢物語では、「鬼に一口で食べられた」とあることにならい「今昔百鬼拾遺」はそれを一つの怪異と見なして『鬼一口』と名付けたのだと考えられる。

佐藤有文の『日本妖怪図鑑』(1972)には、「だれひとりとして、この鬼の前進を見た人はなく、大きな口をぱくくりとひらいたところしか見えないという」とあり、「夜おそく一じんの風とともに」現れ、「若くて美しい娘をねらって」一口で食べてしまうと解説されており、後半の部分は女性を一口に食べたということから少々誇張させたアレンジではないかと考えられる。

鬼によって人が一口で食べられてしまうという説話は、各地で伝わっているという。いわゆる、神隠しあるいは失踪の理由付けとして生まれたものではないかとも推測され、そうであれば、単に鬼に攫われたのではなく一瞬で食われたという部分に、突然いなくなったという状況を示唆していることが見て取れる。

興味深いのは、この説話は『今昔物語集』にも登場していることである。もっとも、それは「伊勢物語」とは多少異なる設定が加えられている部分もあり、話をより面白いものにする意図があったせいか、食べられた女性は首と着物だけが残された形で発見されている。

平安時代は、庶民を葬るための場所が満足に設けられておらず、鴨川や桂川の河原にまで遺体が打ち捨ててあったと言われている。遺体は野ざらしが当たり前であり、それを鳥がついばみ野犬が貪り食っていた状況である。

そんな中、遺体の味を覚えた野犬が、生きている老人や女性子供を襲う可能性は充分に考えられることであり、そのことが失踪や神隠しといったものに繋がったと推測できる。

こうした、社会の事情を鬼の仕業と見なして形成された妖怪、それが鬼一口であるのかもしれない。

【参考記事・文献】
佐藤有文『日本妖怪図鑑』

今昔百鬼拾遺 霧之巻 鬼一口
https://park.org/Japan/CSK/hyakki/zukan/jyuui/kiri/onihito.html
「伊勢物語:芥川(あくたがは)・白玉か」の現代語訳(口語訳)
https://text.yarukifinder.com/kobun/2898
鬼一口(おにひとくち)
https://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2013/04/10/163505
鳥辺野への埋葬はまだマシ? 遺体がそのへんに捨てられていた平安時代 「人喰い鬼」のせいにされた凄惨な光景とは
https://www.rekishijin.com/11580

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用