サンカは職分を厳密に住み分けていた?!

投稿 匿名希望さん

いつもYoutube楽しみに拝聴させていただいております。

さて、仙台のイベントでチラッと言った記憶があるのですが、我が一族は元サンカらしいのです。父親の実家は島根県西部石見地方でして、銀山関係で郷士扱いだったのです。

家の本家は竹内家と家の系統の佐藤(正式には佐籐)家の流れがありまして、両家は「竹内流腰之廻(柔術)」が伝わっていました。

佐藤家は江戸初期に山を下りるまで、山の中に住んでいた家がありまして、そこの屋号が「サンカ(山家?)の家」と呼称されてました。

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なぜ郷士になったかと言うと、石見銀山は河川海運で江の川を下り海の港に運んでおりました。この河川海運の船頭頭が、出自不明の人物では都合が悪かったらしく、郷士として取り立て河川海運や警備要員として使われていたようです。

この時に竹内家と縁が出来て親戚になったようです(これに気がついたのは、川越の坂本家が天海僧正に付いて定着化、嵐山町辺りの百姓と親戚になって名字を与えたと言う話からです。坂本家の話はいずれまた)。

で、海運や警備(実際は逃亡者の山狩り要員)以外は何をしていたかと言うと、

野鍛冶(修理のみ)
砂鉄を取ってタタラ者に売る
川の渡し船頭
炭焼き

等をやっていたそうです。




砂鉄取りと渡し船頭は昭和までやっておりました。野鍛冶と籠・笊は軽い修理はするけど、基本的には回って来る専門の方々、まあサンカですわ。その方々に注文する。大規模修理も出来ても自分でやらない。

どうやらそれがルールで、お互いの職分を犯さない。

こちらも薪なり竹なりを受け取って、次までに炭にして渡す。それで物々交換が成り立ってたようです。それが確実に、昭和30年ぐらいまで(父親が家を出るまで)続いていたのは確実だそうです。

末子の父親が遺産相続人に指定されたり(これは伯父に掠め取られた。本家は断絶、家も断絶(俺が独身)、別の伯父貴が本家業務継いでます)、サンカの習慣だって言うのはやってました。

それではまたお便りいたします。

(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©Sasin Tipchai PIXABAY


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