1956年、中国江蘇省にある西晋時代(西暦3世紀ごろ)の将軍である周処の墳墓から、一体のミイラと共にとある遺物が発見された。
その遺物は金属でできていた、いわゆるベルトバックル(帯留め)と思しきものであった。合計で17個ほど発掘されたというこのベルトバックルであるが、のちに北京の中国科学院応用物理学研究所と南京大学科学系による本格調査によって、驚くべき事実が発覚した。
この発掘されたベルトバックルは、当初銅や銀で作られているものと考えられていたが、その組成が調査されたところ、アルミニウム85%、銅10%、マンガン5%からなる合金であることがわかり、研究者を驚かせる結果となった。
アルミニウムは、自然界に広く分布しているありふれた物質の一つである。ただし、単体では酸化しやすくすぐに錆びてしまうため、自然のアルミニウムは別の金属と融合する形で存在しているのが普通だ。
歴史上、アルミニウムが元素として発見されたのは1803年であり、その後塩素ガスとカリウムによって分離・還元法が開発されたのが1827年、電気分解による精錬法に至っては1845年以降の開発となっている。
要するに、件のベルトバックルが作られるためには他の物質からアルミニウムを分離もしくは抽出するための高度な技術を要し、また多くの電力も必要となるのだ。
化学史におけるアルミニウム発見から遥か1000年以上も前の古代中国に、そのような技術があったのではないか、こうして発見されたアルミニウム製ベルトバックルはオーパーツではないかと物議を醸すことになった。
しかし、この結果に疑いの目が向けられることとなった。実は研究所が鑑定をしたのは、出土された17個ではなく、そもそもベルトバックルと関係あるかすらわからない小さな金属片であったことが解った。
確かにその金属片の鑑定はアルミニウム合金であるとの結果は出ていたが、そもそもベルトバックルの一部であるかも不明であったため、清華大学と東北工学院軽金属治煉教研室によって「外見が同じ」でベルトバックルの一部とわかる金属片の再鑑定を行なった。
その結果、その金属片は銀で作られていることがわかり、鑑定をした沈時英によって近代に盗掘された時に混入したものという仮説が唱えられることとなった。これに対し、墳墓の調査担当者であった羅宗眞が、最初に鑑定された金属片は近代の混入物ではないと反論し、これによって沈は出土した17個のベルトバックルすべての鑑定を行なうことを提案した。
1964年、沈の提案が通ったことで実際にベルトバックル17個すべての鑑定が開始され、結果は同じく「すべて銀」となり、とうとう決着となった。さらには、アルミニウム合金であるとされた最初の金属片の再鑑定も行なわれたところ、実際には20世紀の初頭に作られたものという結論が下された。
現代科学の執念が明らかにしたオーパーツの正体であったと言えるだろう。
【参考記事・文献】
古代中国のアルミニウム製ベルトバックル
https://kowabana.jp/boards/90007
時代にそぐわない発見物たち⑮~古代中国のアルミニウム製ベルトバックル~
http://torendo12.seesaa.net/article/455604948.html
【アトラスラジオ関連動画】
【文 黒蠍けいすけ】
画像 ウィキペディアより引用