吉田拓郎は、日本を代表するシンガーソングライターの一人である。ビートルズやボブ・ディランに憧れてミュージシャンを目指し、1971年の『人間なんて』のヒットによってフォーク界の寵児として注目を浴び、翌年の1972年に大ヒットを飛ばした『結婚しようよ』など多くの名曲を世に送り出すほか、他の歌手への楽曲提供も数多く行なっていることでも知られている。
デビュー当時、世相を風刺したスタイルが主流であったフォークソングにおいて、生き方や恋愛などをテーマに扱った彼の楽曲は従来のフォークファンから強く批判され、コンサート会場などでは激しい「帰れコール」が浴びせられることも多かった。
そうした憂き目に合うことが多かった彼を象徴するエピソードの一つは布施明との喧嘩である。
とある歌番組のリハーサルでのこと、吉田拓郎は歌番組用としてオリジナルとは違うバージョンで歌う予定であったのだが、打ち合わせが上手くいっていなかったことでもたついてしまった。その際に、布施明が彼に対して嫌味を言ってしまい、そのことがきっかけで吉田拓郎は以後のテレビ出演を拒否、さらに「布施明は嫌なヤツだ」と方々で触れ回ったという。
だが、このことは、フォークシンガーはテレビに出ないという流れを作ってしまったということもあり、本人は後悔していたという。なお、テレビ出演拒否についてはしばらくしたのちに解いている。
だが、彼に襲い掛かった不運な出来事の中でも特に強烈なものは、1973年に発生した女子大生暴行事件という”冤罪”事件だ。
5月23日の朝、彼の家に刑事3人が突然訪れ、なんと「婦女暴行致傷」の容疑で逮捕されてしまった。この頃、吉田拓郎は前述したテレビ出演拒否という言動もあったことから生意気だという印象が強まっており、こぞって食いついたマスコミによって徹底してこき下ろすような風潮が出来ていた。
同年4月18日の深夜、金沢でコンサートを終えた彼はバンドメンバーとスナックに入店し、その際に会ったのが件の女子大生であった。
その彼女の弁によると、ホテルにて20分にわたり監禁されて暴行されかけたものの、抵抗によって未遂に終わったというのである。ところが、これは女子大生が「友人宅に泊まる」と言っていたことが嘘であるとバレたことで両親から責められ、その際言い訳として咄嗟に口走ってしまった狂言であることがわかった。
女子大生は収拾がつかなくなり告訴せざるを得なくなったが、現場にいた人たちの証言からとうとう告訴を取り下げることになった。
吉田拓郎が受けたダメージは少なくはなく、ツアーの中止、CMの自粛、提供楽曲の放送禁止、果てはマスコミからの謝罪がされることもなかった。同じころ、演歌歌手の森進一も狂言による冤罪を被った事件もあり、似たような被害ということから励ましの意味でも「襟裳岬」の楽曲を提供することにもつながったという。また、冤罪とわかって釈放された翌日に立ったライブのステージでは、それまで必ずといって良いほど起こった「帰れコール」が消えたとも言われている。
2022年12月31日をもって芸能界引退を発表した吉田拓郎の、何とも波乱な半生である。
【参考記事・文献】
吉田拓郎
https://x.gd/oCJ6u
吉田拓郎の冤罪事件「女子大生暴行致傷」の背景とは?
https://gossip-history.com/g00173/
吉田拓郎27歳~突然降りかかった虚言による逮捕スキャンダルと、心ないマスコミのバッシングに堪えた日々
https://www.tapthepop.net/story/76557
【文 黒蠍けいすけ】
画像『青春の詩』