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だるまさんと呼ばれ親しまれた財政家「高橋是清」は騙されやすかった?

立憲政友会第4代総裁そして第20代内閣総理大臣を歴任した日本の政治家、高橋是清。日銀総裁や大蔵台員などを務めた経歴を持ち、特に日露戦争から戦後にかけて外債募集を大成させたことによって、総理大臣よりも財政家や大蔵大臣としての評価が非常に高い。

昭和金融恐慌においてモラトリアム(支払猶予令)を発令したことで恐慌を終息させたり、また日本初の赤字国債を発行し農村救済の費用と軍事費を増加させることに成功したりと、見事な経済政策の展開から「日本のケインズ」とまで呼ばれていたが、1936年2月26日に発生した二・二六事件で皇道派青年将校に射殺されその生涯の幕を閉じた。

彼の若かりし頃は、かなり波乱に満ちたものとなっている。幼少期、仙台藩で育った彼が3歳のころ、藩主の奥方が近所の神社を参拝した際に彼は「おばさん、いいおべべだ」と着物に抱き着いた。通常であればとんでもない無礼にあたるはずだが、藩主の奥方の屋敷に呼びされた彼は、「かわいい子だね」と逆に褒美をもらった。

また5歳のころ、大名行列を見物していた際に躓いて転んでしまい、なんと先払いの武士が乗る馬がとこを通り過ぎていった。だが、奇跡的に彼は馬に踏みつけられることもなく、着物に馬の足跡がついたついた程度で済んだ。

強運と言えそうなエピソードであるが、逆にとんでもなくひどい目にあったような逸話も残っている。ヘボン塾で英語を学んでいた彼は13歳で欧米留学をすることとなったのだが、渡米の手配を頼んだ世話役のヴァ・リードに学費と渡航費を騙し取られ、また、リードの両親が奴隷契約にサインをさせてオークランドに売り飛ばしたため、ブドウ園などで労働させられた。

この奴隷生活中に日本は明治元年を迎え、彼はなんとか契約の破棄に成功し帰国することができた。

だが、苦難は続く。帰国した彼は英語教員などを務めるも芸者遊びや飲酒が原因でクビとなってしまい、食を転々することとなってしまう。その後、農商務省の官僚、そして特許局の初代局長などに尽力した。

特許局の辞任後、彼は農商務省の先輩前田正名からペルーの銀鉱山を持ち掛けられペルーに向かったのだが、なんと鉱山はすでに掘りつくされてしまっており、多額の借金を抱えてしまうことになってしまった。

幸いだったのは、誘った前田が責任を感じて当時の日銀総裁に口利きをし、それがきっかけで彼は日本銀行へ入ることとなった。こうしてみると、非常に騙されやすいとも思える是清であるが、晩年にはNHKのラジオ出演依頼を断って代わりに講演を行なうことになったものの、その場にラジオマイクが用意されてたということもあった。

これらは、彼の風貌や性格に起因して起こってしまったことなのかもしれない。彼はその恰幅の良い風貌から「だるまさん」と呼ばれ親しまれ、財政・金融危機などによって彼が大蔵大臣になった際には「だるまさんが出てきたからもう大丈夫」と言われたほど国民から信頼され、同時に親しまれていた。

その愛されぶりは、衆議院本会議場で堂々と酒をすすっていたにもかかわらず、誰もとがめようとしなかったというエピソードにも残っている。

【参考記事・文献】
高橋是清とはどんな人物?簡単に説明
https://colorfl.net/takahashikorekiyo-matome/#i-8
高橋是清はお札になっていた!お金にまつわるエピソード3選
https://colorfl.net/takahashikorekiyo-osatsu/#i-2
高橋是清とは?生い立ちや功績・エピソード・名言を紹介
https://raq-hiphop.com/person-takahashi-korekiyo/
高橋是清とは?「日本のケインズ」と言われた男の経歴、逸話、功績を紹介
https://az-history.net/korekiyo-takahashi/

【文 黒蠍けいすけ】

画像 ウィキペディアより引用