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70年代の超能力ブームを盛り上げた「超能力少年」の暴かれたトリックとは

1970年代前半、スプーン曲げで一世を風靡したユリ・ゲラーの登場により、日本国内でも「日本のユリ・ゲラー」を探そうという熱をきっかけとした超能力ブームが巻き起こった。

ユリと同様にスプーン曲げができるという、いわゆる超能力少年たちが幾人も現れ社会現象ともなった。しかしながら、そのブームはある一人の少年への取材によって終焉を迎えることとなったと言われている。

1974年1月8日、当時放送されていたワイドショー番組『13時ショー』にて、当時12歳であった関口淳(せきぐちじゅん)という名の少年が登場した。彼は番組の中でスプーンを曲げて見せ、放送終了後には記者会見を行うなど一躍「超能力少年」としてもてはやされることとなった。

彼によると1973年12月のこと、妹たちと共にUFOを目撃、またそのころの放送された『まんがジョッキー』にてユリの影響を受けたロンドン在住の9歳の少女が行なったスプーン曲げを見たことで自分も挑戦し、これ以来スプーンを曲げることができるようになったのだという。

フリーライターであった父の友人にテレビ局のディレクターを勤めていた人物がおり、この縁からテレビ出演が実現した。

以後彼は数々の番組に引っ張りだことなり、水木しげるや横尾忠則、小松左京といった著名人の前でスプーン曲げを行ない、またスプーン曲げにとどまらず、針金を空中に投げて念を送り一瞬で星型などに曲げる「空中針金細工」も行なった。




『11PM』でユリと共演をした際には、ユリが彼の能力に嫉妬し「関口のスプーン曲げの成功場面は放送するな」と圧力をかけたという逸話も残されている。彼の活躍により、「わたしも」「うちの子も」といった電話は新聞社へも多く寄せられるようになったが、その一方で『紅白歌のベストテン』や『仮面ライダーX』など、マスコミの寵児ともなった彼のスケジュールは過密を極めていくこととなった。

1974年、5月24日号の週刊朝日に「遂にボロが出た!超能力ブームに終止符」という見出しが躍った。同月の7日、週刊朝日による取材の中で、取材班が使用していたマルチストラボ写真によって彼の超能力取材が行なわれていた。その際、「スプーンは太もも・腹に押し当てて曲げていた」「針金はあらかじめ曲げてあったものにすり替えていた」というようなトリックであったことが大々的に報じられた。

彼の言い分によれば、何時間もやらされ疲れ切ってしまったことでトリックを使ったと認め、また彼の母親も、細工をするほど追い込んでしまったとして謝罪を行なった。

この一報により、日本中を賑わせた超能力ブームは急速に衰退していくこととなった。

超能力とインチキという関連性は根強く、それは当時であっても変わりないことであっただろう。関口の超能力の真偽については、「その時たまたまトリックを使ってしまった場面を切り取っただけであり、能力自体は本物だ」との反論もあったようだが、今では確認のしようがないのも事実である。

のちに彼は大麻取締法違反によって起訴、その後も無免許運転などで逮捕され服役を繰り返し、現在は消息不明だという。奇しくも70年代初頭に刊行された筒井康隆の小説『家族八景』(1972)において、種類は違うものの超能力を持つ主人公がその能力によって生きることの苦渋を強いられる姿が描かれている。

彼は自身が有するというその”超能力”を、今どのように思っているのだろうか。

【参考記事・文献】
「1、2、3…曲がれ!」社会現象になった超能力ブーム…異常な熱気を生み出したTV各局の“オカルト倫理観”を振り返る
https://bunshun.jp/articles/-/47070#goog_rewarded
スプーンで曲がる人生~超能力者・考
https://ameblo.jp/hide-smile/entry-10806331949.html
タレント霊能力者・超能力者の犯罪史
https://npn.co.jp/article/detail/83126898/

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(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ファジー / photoAC