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チューニングの神「スモーキー永田」の世界一のスピード違反伝説

永田和彦(ながたかずひこ)は、自動車チューニング専門の整備工場を経営する自動車整備士である。世界的に名が知られるチューニング職人であり、また最高速アタックを行なう前のウォーミングアップとして、自身が運転する車をバーンナウト(後輪タイヤを空転させて白煙をあげること)させていたことから、『スモーカー永田』の異名を持つ。

彼にまつわる超人的な逸話は多い。

北海道で生まれ育った彼の実家は牧場であり、その手伝いをする中で小学生の頃にはすでに4トントラックを転がし、中学校へはバイク、高校へは車で通っていたと言い、高校は車での通学がバレて教師ともめて退学したという。そして”最高速”へとのめり込んだのは、地元の斜里街道の延々と続く直線を購入したスポーツカーで走っていたことがきっかけであったそうだ。

彼の独自のチューニング技術はすさまじいものであり、720馬力までパワーを発揮させることができるようチューニングしたスカイラインV35GT-Rは、速度制限なしのドイツのアウトバーンにて時速340キロを記録し、ターボを搭載させ943馬力ものパワーを持たせたトヨタ・スープラは、イタリアの巨大テストコースにてなんと時速358キロを記録した。

そんなスピードに挑戦し続ける彼に、ある日事件は起こった。


1998年のこと、彼はモーターショーに参加するためイギリスを訪れていた。自身のカスタムカーが展示され、それを引き取るために再び渡米した際に高速道路でアタックを行なったのである。チューニングカー専門メディアの取材を受けながら、彼の乗るスープラは信じられないほどのスピードで公道を疾走、時速は317キロにまで達していた。

だがその直後、走行する彼の後方からパトカーが追跡、彼は制限速度を205キロもオーバーしたスピード違反で逮捕されることとなった。

当時のイギリスは交通違反に非常に厳しく、スピード違反も日本での人身事故なみの重罪であったが、結果として約1ヶ月の免停と3万円の罰金という予想以上の軽い罰で済むこととなった。その後日本へ帰国した永田であるが、あまりに軽い罰で帰国が出来た彼についてメディアが騒然となっており、一方のイギリスにおいてはカスタムカー雑誌にこの件が大きく掲載され、むしろ永田をヒーローと称するほどにカルト的な人気を生み出した。

このことによって、彼は世界で最も速いスピード違反者として語り継がれることとなった。

余談であるが、2005年にはアウトバーンで時速417キロで走行したチェコの富豪が警察の取り調べを受けたという。速度制限なしとはいえ、尋常ではない速度での走行ということでその危険性が加味され物議をかもしたが、結果として違反とはなっていないようである。

妙な言い方になるが、永田による“スピード違反”記録は破られなかったといえる。

【参考記事・文献】
世界一速いスピード違反者と世界初のスピード違反知ってる?
https://creative311.com/?p=88577
「小学生でトラックを転がし、高校1年でクルマ通学!?」トップシークレット・永田和彦【チューナー伝説】
https://motor-fan.jp/weboption/article/35655/
世界最高速度違反者のスモーキー永田とは?イギリスでの逮捕歴やV12のスープラについても
https://car-moby.jp/article/entertainment/general-entertainment/smokey-nagata/
【世界一のスピード違反で逮捕されたスモーキー永田という男】いま明かそう、あの事件の真相を。
https://motor-fan.jp/weboption/article/1241/
スピード違反の「世界記録」は日本人の時速317km。海外には制限速度がない道路も
https://oceans.tokyo.jp/article/detail/44435

(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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