妖怪・幽霊

36人の人命が失われた「橋北中学水難事件」にまつわる心霊現象、その真相

橋北中学水難事件とは、1955年7月28日に三重県津市で水泳訓練中だった中学校の女子生徒たちが溺死した事件である。

戦争の傷跡もまだ残る日本において、多くの人命が失われたことで衝撃を与えた水難事故である。当時、河川や海で水泳の授業を行なうことが一般的であったが、この事件がきっかけでほぼ全国の学校にプールが設置されることになったとも言われている。

同月18日から10日間に渡って行なわれることとなっていた橋北中学校の水泳訓練は、海岸の北側と南側に男女が分かれ行なわれた。この時、総生徒数660人ほどが参加していたという。

事件が起こった最終日は、気温30度を超える快晴で風もなく波も立っていない、また他校の水泳訓練も無かったことから、広い領域を使える絶好の水泳日和であった。だが、海に入ってからしばらくして、突如として高波が発生し、沖へ出ていた教員を含む女子グループおよそ100人が波に捕まり溺れだした。懸命な救助と迅速な緊急事態の知らせによって、意識を取り戻した生徒もいたが、結果として36人もの生徒が命を失うこととなった。


この事件は、使用領域を広めてしまったことによって強い流れが発生する「離岸流」の地点に入り込んでしまった、潮の流れについて目測を誤った結果「異常流」が発生してしまった、といったことが重なったことで発生したと見られている。助かった女子生徒の証言によれば、海底の砂が高波によって崩れていき、1メートルほどの水位が一瞬で背丈を越えるほどになったという。

この他、訓練合格を目指すあまり、多くの生徒が沖へ集まって行ったことや、大勢の生徒が溺れるという異常事態によって集団ヒステリーが起こったことも、被害を拡大させた一因ではないかと考えられている。

だが、戦後間もないこの時期に多くの人命が失われたこの痛ましい水難事故が、全国的に知られるようになった理由は別にあった。発生からほどなくして、この水難事故は心霊現象に襲われたことによって発生したという噂が広まり出したのである。津市では、10年前の事故同日に米軍の空襲があり、このことが噂に拍車をかけたと思われる。




都市伝説として本格的に広まるきっかけとなったのは、1963年7月に発行された『女性自身』の掲載によるものであると考えられている。九死に一生を得た元生徒の手記であるとして掲載され、その内容は「何十人というモンペ姿の黒い女性たちが、自分たちの足をつかまえて海の中に引きずり込もうとしていた」という恐ろしいものであった。

だが、のちにこの手記を寄せたという人物の証言によって、記事内容は脚色されたものであったことが判明した。当人は、亡霊を全く目撃しておらず、水中に引き込まれそうになった際には「一緒に溺れた人が引っ張ってると思った」という回答をしていたことが、実に54年の月日を経て明らかとなったのだ。

このモンペ姿の幽霊が広まったからか、空襲により亡くなった人々の遺体が海岸に埋葬されているという噂も流れるようになったが、これまで幾度も海岸が整備されてきた中で、そのような埋葬された遺体は全く確認されていないという。この心霊話の真相発覚は、とある番組にも影響を与え、当初は心霊現象に基づいた構成であったものが、先の「離岸流」などによる事故であるといった科学的に検証する内容へ撮り直されたといわれている。

【参考記事・文献】
橋北中学水難事故とは?36人の女生徒が集団溺死!亡霊騒ぎにまで発展
https://www.seiryozan.jp/hashikita-junior-high-school-water-accident/
女子生徒36人が溺死した水難事件。橋北中学校の生還者が見た「モンペ姿の女」は幻だったのか?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/kyohoku1955_jp_5c5d774fe4b0974f75b2df1f
「防空頭巾の女が海中にひきずりこんだ」という怪奇体験は事実ではなかった。36人死亡の中河原海岸水難事故の生還者が明かす
https://www.huffingtonpost.jp/entry/nakagawara_jp_62e0d119e4b03dbb991eb7d6

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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用 Reifen(雷鋒)撮影 – 投稿者自身による著作物 CC 表示-継承 3.0