はじめまして。カナダ、バンクーバー在住のルナ猫と申します。いつもアトラスラジオを拝聴しています。
日本を10代ではなれて、早17年、つたない日本語ですが、ご了承ください。この話は7年ほど前のことです。
お昼休みにバンクーバーのオフィスの外で同僚と談笑していたのですが、ふと道端に日本語の紙切れがあるのに気付き、近づいてみると島原城の入場券でした。
カナダの道端に日本の、しかも私の出身の長崎の島原城の入場券があるということに鳥肌が立ったのをいまでも覚えています。日本に住んでいる方でも島原城を訪れたことがある人はそこまでいないと思います。
少し怖くなりその場を離れたのですがそのことが頭から離れず、その年に長崎の実家に里帰りをした際、思い切って現島原城と島原城跡の両方を温泉旅行をかねて両親と訪れることにしました。
長崎というのは悲しい歴史の多い土地です。島原城跡は思っていたより狭いスペースで、8千人もの信者、村人がその場所で亡くなったと思うと切なくなりました。しかし特に霊体験はなく、城跡をはなれて、近くの口之津町という港町で時間をつぶすことにしました。
たまたま、口之津町民俗資料館が近くにあり、入ることにしました。入場者は私たち以外は誰もいないし、入場料も二百円で期待度はゼロだったのを覚えています。
入館して足を進めていくと、なんとデカデカとカナダの国旗が飾ってあり、びっくりした私は展示品を読み始めました。
1877年に日本人で初めてカナダに移民した、カナダ移民第一号の永野万蔵が生まれたのが口之津だったのです。形跡をたどっていくと、私が移住したバンクーバー、そして大学で4年住んだビクトリアで製材所やレストラン、ホテルなどの経営をし成功しますが、火災で財産を失ってしまい晩年には帰国したそうです。
晩年、最期までカナダに帰りたいと言っていたそうです。それまでカナダ移民第一号のことなど知りませんでしたし、もちろん、その第一号者が長崎出身だということも知りませんでした。背筋がゾクゾクして、両親と「島原城じゃなくって、このために導かれたんだねー」と納得しあいました。
その後、日本をたつ際に、「万蔵さん、私と一緒にカナダに帰りましょう」と思いながら飛行機に乗りこんだのを覚えています。
もしかしたら前世で私たちはあっていたのかもしれませんね。
(アトラスラジオ・リスナー投稿 ルナ猫さん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 hiro71 / photoAC