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天才剣士、沖田総司の剣技「三段突き」はどこまで真実なのか?

新撰組の天才剣士と称される沖田総司(おきたそうじ)は1842年(もしくは1844)年に陸奥白河藩の沖田勝次郎の嫡男として産まれた。幼い頃から剣術の才能を見込まれ、19歳という若さで天然理心流の免許皆伝、道場「試衛館」の塾頭となるなど、その実力は新撰組随一とも言われるほどであった。

そんな沖田が得意としていたと言われる剣技に「三段突き」がある。正式には「無明剣」と呼ばれるこの技は、天然理心流の奥義とされているものであり、平正眼の構え(剣先を相手の目に向ける構え)から間合いを詰め、踏み込む足音を一度しかしない間に三回の突きを繰り出すというものであると言われている。

沖田の三段突きは、「頭、ノド、ミゾオチの三ヶ所を突く」、「頭、ノゾ、ミゾオチのうち隙のある個所を三度突く」、「突く・引く・突くの三連続の動作を三段と称した」、などの諸説があり、いずれが沖田の三段突きであるかはよくわかっていないが、いずれにせよ気迫や技量そして何よりもその瞬発さによって成り立った大技であったとされている。


しかし、沖田の三段突きが実際にこのような技であったのかには、少なからず疑問が持たれている。新撰組ゆかりの古老たちによる見聞や日記・手記などで綴られた逸聞集『新選組遺聞』(子母澤寛 1997)によると、沖田の実際の突き技は「や、や、やと足拍子の三つが、一つに聞こえ、三本仕掛けが、一技とより見えぬ」、すなわち三度の突きが絶え間なくなされ一つの技のように見えたということであり、一度の踏み込みで三度も突きを入れたということとは、かなり意味合いが違ってくる。

そもそも天然理心流においては、「突き技において必ず三回突く」という決まりがあったようである。これは、刀が相手に刺さりっぱなしにならないようすぐ抜く癖をつけるため、そして突き損じてもすぐ体勢を戻せるようにするためのものであるとされている。しかも「手答えがあっても無くても」石火のごとく引いては間髪を入れず突く、というものであったというのだ。




沖田の三段突きは、「感心せぬものはなかった」ほどの実力であったことは確かであるようだが、それは我々がフィクション作品の剣術に見出す描写のようなものとは異なっているようである。さらに興味深いのは沖田の構えであり、それは師匠である近藤勇に似ていたそうであるが、平正眼の構えでは太刀先が下がり気味で前のめりの状態であり、しかも「沖田は殊に目立って、剣の先が右寄りになっていた」という、かなり癖のある姿勢だったようだ。

塾頭として指導していた沖田は、師範であった近藤よりも厳しく荒々しいものであったと言われている。それでも、わずか20代(一説に27歳)で亡くなった沖田が、新撰組内外問わずその腕を絶賛され、期待される存在であったことは確かであった。

【参考記事・文献】
夭折した天才剣士 沖田総司の必殺奥義三段突きとはどんな技!?
https://historivia.com/okita-soji/5331/
新撰組最強と言われた沖田総司の剣術の流派
https://www.shinsengumi-study.com/okita-soji/post-183#i-2
沖田総司の三段突
https://sake-manga.hatenablog.com/entry/2020/03/25/125536

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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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