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四天王を率いた平安時代のゴーストバスター「源頼光」の実相

源頼光(よりみつ)は、平安時代中期の武将であり、武家の筆頭かる武勇にも秀でた人物であったとされている。『今昔物語』『宇治拾遺物語』などでは、酒呑童子など都を脅かす妖怪を退治する勇敢な武将というイメージで描かれており、そして“四天王”と呼ばれる豪傑揃いの武士たちを配下に引き連れていたとも言われている。

渡辺綱(わたなべのつな)は四天王の筆頭とされており、『源氏物語』に登場する光源氏のモデルになったと言われる源融(みなもとのとおる)を高祖父に持つと言われている。現在日本全国にいる渡辺姓の祖とも伝わる彼は、毒酒に酔わせた酒呑童子の首をはねたり、一条戻り橋で遭遇した鬼の腕を切り落としたりなど、鬼退治の達人とも称される。


碓井貞光(うすいさだみつ)は身の丈七尺の長身であったとされ、もともと幼くして天涯孤独の身となり山中で修行に励んでいたと言われている。戸隠神社のお告げによって頼光に仕えるようになり、酒呑童子の他、土蜘蛛や郷土の毒蛇などを退治したという伝承が残っているという。

坂田公時(さかだきんどき)は「足柄山の金太郎」の呼び名でもよく知られる四天王一の怪力である。龍神を父に持つとの噂からか妖怪に対する理解もあったとされ、兄頼光と争って敗北し、その死の間際に牛の化物となった源満仲の子「牛御前」に対しては同情もしていたという。

卜部季武(うらべすえたけ)は征夷大将軍坂上田村麻呂の子孫であり、豪胆さは四天王の中でもトップレベルであったと言われている。彼のエピソードで有名なのは、妖怪「うぶめ」との遭遇であろう。夜間、川を渡ろうとする者の前に赤子を抱けと言い寄る女がおり、これをその通り抱くと今度は返せと追いかけてくるという話が出回っており、自分が行ってやろうと名乗り出て赤子を抱き、返せという要求を一蹴して帰ってきたという。帰ってきてみると、抱えていた赤子は木の葉になっていた。




こうした妖怪退治伝説は、多くの場合その人物の偉業性を誇大に表現したものであることが殆どである。しかしそんな中、武家の筆頭であった頼光がどのような人物であったかというと、無骨な武将というよりは世渡り上手な役人であったとされている。特に上司に対する贈り物は過剰であり、中でも火事で藤原道長の家が消失した際は、家具一式を用意するなど、いわゆる点数稼ぎの贈り物攻勢によって出世した人物であったとされている。

一説には、足利氏の祖先である源氏の勇名を喧伝するために英雄として仕立て上げたのではないかとも言われているが、それがなぜ頼光に白羽の矢が立てられたのかはよくわかっていない。ただし、坂田公時以外の3名は実際に頼光の臣下であったことは事実のようであり、彼らの有能さが結果として主君たる頼光を英雄たらしめる要因となった可能性はあるだろう。

【参考記事・文献】
山口敏太郎『日本史の都市伝説』
【渡辺綱】頼光四天王の最古参は、鬼退治が得意なイケメン剣士だった!?
https://rekijin.com/?p=37195
鬼退治で名を馳せた頼光四天王の一人、碓井貞光の真の姿
https://www.rekishijin.com/16316
金太郎の解説 実際の金太郎「坂田金時」とは?
https://rekan.jp/2548/
幽霊・産女をも意にも介さぬ武将 卜部季武の意外な系譜とは?
https://www.rekishijin.com/16150

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(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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