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独特な怪異・妖怪が登場する江戸の妖怪絵巻「稲生物怪録」

稲生物怪録(いのうもののけろく)は、備後国三次(びんごのくにみよし:現在の広島県三次市)を舞台として、武家の息子であった広島藩士の稲生武太夫(ぶだゆう)が16歳幼名・平太郎であった頃に起こった、自分の屋敷での怪異を書き綴った物語や絵巻などの類本である。

江戸時代に実話として広まり、現代に至るまでの怪談を題材とする創作物などに多大な影響を与えた。

物語の始まりは1749(寛延2)年の5月、平太郎が肝試しのために比熊(ひぐま)山へ登り、そこで触れると祟られると言われていた「天狗杉」にたどり着き、未知を三回まわり古塚前の草を印として結び下山した。その後7月に入ってから、およそひと月に渡って様々な怪異が彼のまわりで起こり始めたというのだ。

彼は肝が据わっており動じることは無かったが、30日目に山本(さんもと)五郎左衛門と名乗る魔王が武家姿の大男で現れ、大量のミミズを出現させる。ミミズだけが大の苦手であった平太郎であったが、これを耐え忍び、その後五郎左衛門は多くの眷属を引き連れ空中へ去って行ったという。広島県の國前寺(こくぜんじ)には、平太郎が魔王からその勇気を称え授かったという木槌が奉納され、毎年1月7日の稲生祭でのみ公開されているという。




稲生物怪録は江戸時代中期において多様な形で展開されていった。だが、成立時期などハッキリしていない部分が多く残っている。平田篤胤やその門人たちなどの手によって出版が試みられたが少なくとも江戸時代のうちには達成されておらず、もっぱら写本というかたちで作成され各地へ流布していった。このため、テキストや挿絵にはそれぞれ差異も存在しており、その比較検討も研究の対象となっている。

稲生物怪録は、当時の江戸で隆盛した怪異・妖怪文化の中でも異彩を放つ存在であったとされている。それまでの多くの怪異がキツネなどの仕業であるとするケースが多い中、魔王と称する存在が怪異の元締めとなっているのは先にも述べた通りである。そのほかにも、稲生物怪録で描かれる怪異が他の絵巻などで描かれるている様子が見られず、反対に他の絵巻で描かれる「ぬらりひょん」といった有名な妖怪などが稲生物怪録では見られないという点も特徴である。

因みに、主人公である稲生武太夫には、伊予に伝わる化け狸「隠神刑部」(いぬがみぎょうぶ)を、宇佐八幡大菩薩から授かった神杖によって懲らしめ封じたという逸話も残っている。バリエーションとして、魔王から授かった木槌で懲らしめたとも言われているが、いずれにせよ、彼を英雄として称えている点が共通しているのは注目に値する。

稲生物怪録は、本人からの聞き取りによって残されたと言われているが、ひょっとすると自身を権威ある存在として見せるため、もしくは第三者によって彼を英雄に仕立てるため、といった当時の事情による何らかの作為が込められているのかもしれない。

【参考記事・文献】
・大塚英志/山本忠宏『稲生物怪録』
・《稲生物怪録》- 三次の妖怪物語 –
https://miyoshi-mononoke.jp/introduction/introduction-inoo/

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 Kashiwa Seiho (柏正甫) – ISBN 4-5829-2057-8., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2324298による