デリーの鉄柱は、野晒しにされたままおよそ1500年もの間、錆びずに残って建つことで知られるインドのデリーに存在する鉄柱である。アショーカの柱などとも呼ばれ、1993年には「デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群」として世界遺産に登録された。
この鉄柱は、4~5世紀グプタ朝の王チャンドラグプタ2世のころに、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌに捧げるために、もともとインド国内のウダヤギリという土地に建てられたとされている。その後12世紀に入ってきたイスラム勢力によって抜き取られ、現在のデリーに移設されたと言われている。
先に名前の出たクトゥブ・ミナールは、イスラム教の遺跡である。鉄柱は高さ約7メートルで埋もれている部分は2メートルほど、直径は約44センチメートルで重量は10トンとされている。信号機くらいの大きさだと思えば、イメージしやすいだろう。
この鉄柱が錆びないということについては長く謎とされていた。この鉄柱は99.7%のきわめて純度の高い鉄であると言われているが、デリーが乾燥した土地であるからといって、野晒しであればそれほどの鉄であっても本来は50年ほどで錆びてしまうと言われている。中には、宇宙人による高度な技術で作られたといった説まで存在していたほどだ。
ここで注意しておくべきなのは、この鉄柱が「全く錆びていない」ということではなく、「1500年も経過している割に錆びていない」という点であり、部分的には若干錆が見られているということだ。近年の研究では、この鉄柱が強靭で錆びにくい鋼素材「ダマスカス鋼」で作られており、かつてのインドに高度な製鉄技術が存在していたのではないかという仮説も存在している。
現在まで有力とされている説では、リンに覆われているために錆を防いでいるというものである。インドの鉄鉱石にはリンが多く含まれており、また製鉄の際に使用されていたというミミセンナと呼ばれる植物もリンを含んでいたため、ひときわ錆びにくい鉄が作り上げられたのではないかというものだ。
また近年では、鉄柱が「黒錆」に覆われているということも判明したという。黒錆は、ボロボロと崩れ落ちる赤錆から保護する性質を持ち、南部鉄器にも利用されている。グプタ朝は、ギリシア天文学をインド化するほか、数学や科学を大きく進歩させた時代であり、インドの科学技術がこの時格段に進歩していたことは確かだろう。鉄柱は、乾燥地という気候やリン・黒錆といった数々の条件を取りそろえた高度な技術の産物だったと言えるのだ。
しかし、それでもこの鉄柱には謎が残る。同様の製法が行なわれていたとすれば、なぜこの一本のみが残っているのか、そしてその高度な製法がなぜ失われてしまったのか。その謎は、伝承に残るデリーの鉄柱によって地中深部で首を突き刺されていると言われる「地下世界を支配する蛇王ヴァースキ」だけが知っているのかもしれない。
【参考記事・文献】
・並木伸一郎『神々の遺産オーパーツ大全』
・古代の不思議、1600年経っても錆びない「デリーの鉄柱」
https://karapaia.com/archives/52314502.html
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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
Photograph taken by Mark A. Wilson (Department of Geology, The College of Wooster). – Original photograph, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4150061による