人類はかつて高度文明を誇りながらも何度も滅んでは発展する過程を繰り返しているという珍説は、よくある“とんでも本”の定番メニューである。確かに、古代の伝承や神話をまとめた内容に、不可解な記述があるものは多いし、遺跡の中にも不可解な構造を持つものは多い。
トルコ中央部に存在するカッパドキアも、古代核戦争のシェルターだったのではないかという噂のある遺跡だ。
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カッパドキアはそびえ立つ岸壁に住居跡が存在しているもので、岩壁に無数の窓や空気取入口が開いており、地下に蟻の巣のごとく複雑に部屋と部屋がつながり合っているという構造になっている。部屋の中にはかまどや教会、井戸や墓に用いられたとみられるものもあり、まさしく地下の街として機能していた事が解る構造となっている。なお、1985年にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。
カッパドキアはローマ帝国時代に隠れ住んでいたキリスト教徒たちの街ではないかと考えられているのだが、それにしては規模が大きすぎるという指摘がある。
カッパドキアには10万人入れる空間が存在しているのだが、この規模で迫害されていた宗教の信者が一同に集まっていたとしたら、流石に隠れられないのではないかというものだ。そのため、カッパドキアは現地の人々が何らかの外敵や災難から逃れるために築いたもので、後に入ってきたキリスト教徒が隠れ家として使用したのではないかとする説が存在している。
では、キリスト教徒の前の人々は何のためにこのような地下都市を作り上げたのか。それが古代核戦争から逃れるために作られた地下シェルターだという説なのだ。
確かにカッパドキアの規模であったならば貯蓄量もあり、地下シェルターとしても機能できそうなものだが、カッパドキア周辺からは核戦争や何らかの戦争、爆発が起きたような高温などにさらされた痕跡は発見されていない。おまけにカッパドキアの構造は結局穴を掘り進んだものなので、放射能の被害を防ぐ事ができない構造のため、シェルターとして使うには心もとない。
中には核をもしのぐ破壊力を持つ中性子爆弾やプラズマ兵器を防ぐもので、高度に進化した古代文明はこれで一度滅んでしまったのだ、とする説もある。しかし、いずれも立証できる証拠はない。
カッパドキアがどのような用途で築かれたのかは解らないが、もしかすると今後の調査の結果更に詳しいことが解るのかもしれない。しかし、古代核戦争や滅亡した文明の証拠が出る可能性は低いのではないだろうか。
(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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