2018年8月20日にNHKで放送された「ファミリーヒストリー」で歌手・さだまさしの家族の歴史が放送された。
さだの父方の祖母えむさんの波乱万丈の人生が印象に残った。
若くして結婚したえむさんは、長男を突然死で亡くしてしまう。失意の中、ロシアのウラジオストクに渡ったえむさんは、ロシア人夫婦の家政婦として働き始める。
そこでさだの祖父と出会い、さだの父親が生まれるが、さだの祖父が亡くなるとさだの父を連れて満州の親戚方の時計店に身を寄せた。
太平洋戦争が終盤になった時、ロシアが満州に侵攻してきた。ロシア兵は満州の各地で掠奪を繰り返し、えむさんが身を寄せていた時計店にも押し入ってきた。ガラスの陳列ケースを叩きわり、貴金属を奪うロシア兵。親戚一同震え上がっている中、えむさんは毅然としていた。
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そのうち一人のロシア兵が方位磁石を時計と勘違いしたのか、耳に当てて「音がしない。この時計は壊れているのか」と聞いてきた。するとロシアに住んでいた経験上ロシア語が堪能だったえむさんが「馬鹿か、これは磁石だ」と流暢なロシア語で言った。
怒ったロシア兵は銃を抜いてえむさんに突きつけた。親戚一同恐怖で凍りついていると、えむさんが言い放った。
「撃つなら撃て。十分に生きた」
その直後、銃声が響き渡り、銃弾が発射された。銃弾は幸いにも後ろの棚に当たった。しかし、えむさんはそんな修羅場でも微動だにしなかった。
えむさんは日本へ帰国後は息子たち一家と幸せに過ごし、バイオリンの英才教育に励む、幼い孫のまさしに満州やロシアの話を毎晩のように聞かせたという。
(すぐれいち恭介 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
画像『さだまさしトークベスト』