1974年にTBS系列で放送されたドラマ「寺内貫太郎一家」は平均視聴率31.3%を記録し、大ヒットドラマとなった。翌年75年には続編の「寺内貫太郎一家2」が放送され、その後も90年代や2000年にスペシャルドラマが放送されるなど国民的な作品となった。
この「寺内貫太郎一家」には様々な伝説が残されている。
当初、貫太郎役は作曲家の小林亜星ではなく、俳優のフランキー堺に依頼する予定だった。しかし、映画監督が忙しく断られてしまった。そこで今度はドリフターズの高木ブーに依頼したのだが、これまた忙しくて断られてしまった。
そこでTBSは小林に依頼することにした。しかし、原作者の向田邦子は「あんなエッチそうな人いやだわ」難色を示していた。そこで番組プロデュサーが小林の頭を丸めて役作りに入ったところ、「これぞ寺内貫太郎だわ」とようやく承諾してくれた。
番組の撮影中にトラブルも起こっている。
75年に放送された「寺内貫太郎一家2」の第一話の撮影中に、貫太郎役の小林と長男・周平役、西城秀樹とのバトルシーンがエスカレートし、投げ飛ばされてセットの下まで落ちた西城の腕が骨折してしまった。
他にも樹木希林の演じる貫太郎の母親・寺内きんが、沢田研二のポスターの前で絶叫し「ジュリー」と身悶えするシーンはお茶の間でも評判になった。「寺内貫太郎一家」の29話では沢田自身が特別出演し、番組エンディングではジュリーがギターを演奏して、きんと一緒に挿入歌の「リンゴがひとつ」を歌った。
昭和のドラマを語る上で外せない名作である。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)