文明開化以来、人間の生活に入ってくる便利なモノはあとを絶たない。そして、人々はその便利なモノ=ハイテクに狂喜するのと同時に、その中に妖怪チックな存在を見つけ畏怖してきた。ハイテクへの畏怖は、オカルトの歴史でもある。
まずは写真がそうであった。幕末から明治にかけて、写真撮影されると、魂を抜かれるとおそれられ、3人で撮影すると真ん中の人物は死ぬと言われたのである。
これは異説ではあるが、よく幕末の志士が写真撮影の時、懐に手を入れて写っているが、これは魂を抜かれないお呪(まじな)いであったらしい。
また写真と並び、明治の文明開化の象徴であった電話も人々の恐怖の対象になった。電話線の工事も処女の血を塗らないと工事ができないと噂され、工事の担当者が地元住民から襲撃されたり、周辺の少女たちはお歯黒を染めて既婚女性のふりをするなど、ハイテク幻想の恐怖に震えたのだ。また電話線開通後も、ハイテクへの蒙昧な畏怖は継続する。
電話線で声が送れるというのであれば、品物を送れるであろうと電話線に風呂敷包みを結わえ付ける老婆がでたり、電話の向こうが魔物ではないかという恐怖から、「もしもし」という反復用語で呼びかけたり(魔物は、もしもし、またまたとか、同じ単語の反復ができないので魔物と人間の見分け方の一種である)、いつまで経っても電話は恐怖の対象であった。
更に、時代が進んでもカメラ、電話への恐怖は加速していく。超能力者により念写が編み出され、最後には月の裏側まで念力撮影されるようになった。
そして現在も心霊写真として、そのモノへの恐怖は受け継がれている。勿論、電話の携帯電話という機種に舞台をかえて、あの世からの着信や、心霊写メールで人々を震撼させているのだ。
その他にも機関車や自動車など 文明の進歩によって生み出されたモノには、確実に心霊とか、妖怪が住み着いてきている。
死んだ場所から自宅への霊体の帰宅手段につかわれるタクシーに、列車の窓に写る心霊の顔など、時には車や列車そのものが幽霊車や幽霊電車になって暴走している。人の生活を便利にした代償か、それとも人の生活に密着する事がお化けの存在理由だからであろうか?
最近、ネット上でささやかれる噂に気になるものがある。それはインターネットを移動しながら、ユーザーの心に憑依して歩く化け物がいるという都市伝説である。言わば、ネット憑依霊とでも表現しようか? そいつは、インターネットという新世紀を代表するモノの中から生まれた新しい妖怪なのだ。
そのネット憑依霊は、人の心にしのびより憑依し、その人物に悪事を働かすという。これは考えてみると怖いものがある。
2000年の年末に起きた17歳の少年によって行われたバスジャック事件も、犯人の少年は掲示板に犯行予告をしたというし、世田谷の一家惨殺事件でも、犯行と同日に某掲示板で予告めいた文章があったと言う。これは一体どういう事なのか?チャットで知り合った高校生に刺される主婦、またネットで知り合った浮気相手を脅迫した判事の妻、そして証拠隠滅を図った夫。
インターネットという便利なものを手に入れた私たちに、えも知れぬ恐怖と不条理が迫りつつあるのではないだろうか?ネットを使い人の心に憑依する霊。
そいつは今度は誰の心の傷に入り込むのであろうか?
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
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