サブカル

伝説の放送事故「大仁田厚」が殴りかかってガチギレした VS.松野乱闘事件

大仁田厚は、プロレスラー・俳優・タレント・政治家として活動する人物。1973年にジャイアント馬場の全日本プロレスに新弟子第一号として入門、その後1985年の引退を経て、90年代に自らが立ち上げた団体FMWを旗揚げ、その奇抜なパフォーマンスやデスマッチで人気を博した。

テレビ出演も多々あった大仁田であるが、中でも歴史的な放送事故とも称されるとある事件がかつて起こった。

それは、2001年12月30日に放送されたみのもんたがMCを務めるテレビ特番『芸能界も構造改革だ!ワイドショーの主役!!直撃!追跡!大追突!』、女優・タレントの沢田亜矢子との3年に及ぶ離婚裁判の末にプロレスラーとして転職したゴージャス松野の話題になったタイミングでのこと。

この当時、芸能マネージャーであった松野は、タイガー・ジェット・シンのマネージャーとしてIWA・JAPANに参加するなど、プロレスに関わってまだ間もない、そもそもプロレスラーとしてデビューすらしていない時期であった。

そもそも大仁田は、この松野のプロレス転向を甘く見ていた態度が気に入らなかった。そして、大仁田が番組内でマイクパフォーマンスを披露した直後、「なに興奮してるんですかこんなとこで」と松野が挑発的な発言をしたことで、空気は一変。

不穏な雰囲気が漂う中、大仁田はじりじりと松野に歩み寄っていったが、松野の隣に座っていたデーブ・スペクターが「こんなテンションの低いバトル初めて見ましたよ」と言い放ったことでついに大仁田がブチ切れた。

松野に椅子を投げつけ、さらには殴りつけて髪を引っ張る大仁田に、慌てたスタッフが止めに入る事態となった。その後、大仁田は共演者のデヴィ夫人などから「(素人相手にプロが)あんな風に暴力を振るってはいけない」などと批判を受けたことでその場で和解には至ったという。

この通称「大仁田・松野乱闘事件」については、口火の切るきっかけを作ったデーブも「スタジオの温度が10度下がった」「(生放送ではなく収録なので)カットしなかったのは偉い」といったほどのシーンになったが、実は大仁田がキレたのは違う理由だったという説も存在するという。

その説によれば、元々乱闘は台本にあったものであるというものである。プロデューサーが、乱闘を松野に依頼したところ、「大仁田さんに失礼だ」という理由で断っていた。

ところが、スタッフ側の判断であるのか、単純に伝達ミスであったのか、乱闘中止の申し入れが大仁田に伝わらなかった。結果、台本通りに松野が出てこないことで大仁田がキレたというのである。

この説ついては、あくまで一説にすぎないものであるため、真相は定かではない。とはいえ、あれが大仁田ではなく、前田日明、蝶野正洋、長州力などだった場合、この程度では決して済まなかっただろう、と慄く声もあったようだ。

【参考記事・文献】
https://www.asagei.com/excerpt/85553
https://pw-vives.com/onita-matsuno/
https://x.gd/dy79A

【アトラスニュース関連記事】
大仁田厚が激怒、大暴れ!?ターザン山本、うんこのついたパンツ事件とは

関係者が次々と不幸になる?!プロレス団体「FMW」の呪いとは

【文 黒蠍けいすけ】

画像 ウィキペディアより引用