事件

【血塗られた英国黒歴史】 切り裂きジャック (前編)

切り裂きジャックと呼ばれた犯罪者をご存知だろうか。1888年のロンドンの街を恐怖のどん底に突き落とした連続殺人事件の犯人であり、この忌まわしき名前は現在でも英国社会に暗い影を投げかけている。

事件発生から130年近くも経過しているが、その間にも「シャーロック・ホームズ」の生みの親、コナン・ドイルが推理を行っていたり、現役の人気推理作家パトリシア・コーンウェルが本事件の新事実を発見するなど、未だに注目を浴び続ける有名な事件である。




事件は1888年8月31日から11月9日の2ヶ月間に渡って発生した。ロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで売春婦達が連続して殺害されるという、陰惨な猟奇事件が発生したのである。

被害者の数は諸説あって判然としないが、切り裂きジャックの犠牲者と確定されているのが以下の5人である。

1888年8月31日のメアリ・アン・ニコルズ、同9月8日のアーニー・チャップマン、同9月30日のエリザベス・ギュスターフスドッター、同9月30日のキャサリン・エドウッズ、同11月9日のメアリ・ジェイン・ケリーが被害者とされている。

この手の快楽殺人の犯人は自分の性的動向が犯行に出ることが多く、切り裂きジャックの場合、熟女を殺害する傾向が強かった。それ故に、メアリー・ジェイン・ケリーは25歳と若く、切り裂きジャックの犯行ではないとする考え方もある。

犠牲者の殺害方法には特徴があった。まずメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切り、その後臓器や性器を摘出するなど、その残忍極まる手口はセンセーショナルな事件として世界中に配信された。

また、内臓を無駄なく摘出している事から、切り裂きジャックは医学の知識に長けた人間、または上流階級の人間とも推定されていた。

そんな非常に残忍な切り裂きジャックだが、容疑者と目された人物が何人もいた。その内の何人かを紹介しよう。




1人目はトマス・クリーム。彼は医師であり、毒薬を用いて売春婦を殺害した罪で死刑になった人物である。

絞首台で吊るされる間際、「俺様が切り裂きジャックだ」と叫んだと言われている。だが、事件発生当時はアメリカの獄中にいた為、犯行を行う事は不可能だった。

2人目はロシア人医師のマイケル・オストゥログ。軍隊所属の医師としての経歴を持つ。

医師の身分でありながら詐欺や盗みなどの犯罪を繰り返しており、精神病院に入れられていた過去もあった。ホワイト・チャペルの事件発生時に所在不明だったことから、容疑者として名前が挙がっていた。

3人目はモンタギュー・ドゥルイト。彼は弁護士であったが、犯人の目撃証言の人相と似ていた事から疑いがもたれた。

また、1人目、2人目の事件発生時にアリバイが無く、捜査資料によると有力な容疑者だったが最後の事件発生後にテムズ川で入水自殺した。

コナン・ドイルは推理作家特有の推理を展開し、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人と接触していることから、犯人は女装していたという仮説を唱えている。

中には、女性そのものが娼婦という存在を疎ましく思い、犯行を行ったという説もあり、100年以上が経過した今でも犯人像は不明である。

また、同時期に猟奇殺人が頻発し、一体どこまでが切り裂きジャックの犯行なのか、どの事件が便乗犯の犯行なのかも分かっていない。

中には犠牲者は10人以上、犯行自体も1年以上続いたとされている仮説もあり、被害者の人数も特定できかねる状態なのだ。

この犯罪の特徴として劇場型犯罪の元祖であったという点が挙げられる。

(後編に続く)

※イラストはウィキペディアより

(ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)