あの江戸の有名作家・井原西鶴が、諸国の不思議な話を収集して発表していた。今で言うならば都市伝説本である。
当時、大阪で若手人気作家であった井原西鶴は各地の奇妙な話を集めた「西鶴諸国ばなし」という作品を上梓しているのだ。その中には、UFOではないかと思われる話がある。それが「久我縄手の飛び乗り物」という奇談である。
摂津国の池田という地域に呉服神社という社がある。ある日、その境内にある衣掛松の横に、女の乗り物が置かれていた。子供たちが近寄ってみると、年の頃なら22~23ぐらいの都風の美女が乗っている。どこか異様な佇まいに子供達は怖くなり、大人たちに知らせた。
知らせを聞いた大人が近寄ってみると、女は白い肌着に小袖を着ており、舶来の帯を締めていた。また手元には蒔絵の硯箱がおいてあり、かやの実を炒った菓子や、かみそりが乗り物に置かれている。
「あなたは、どなたで何故ここにいるのですか」と人々が聞いたのだが、女は黙っているだけで何も答えない。その様子があまりに怖かったので、皆逃げ帰ってしまった。
だが、あのまま山中に放置しては、狼の餌食なってしまうと判断し、大人たちは再び山に登った。しかし、女と乗り物の姿はすでにそこには無く、一里(約4km)南の瀬川という宿場の砂地に移動していたという。
砂地では、噂を聞いた荒くれ者たち数人が、女にすりより、無理やり手篭めにしようとした。すると、女は左右から蛇の頭を出して、男たちに喰らい着かせた。男たちは失神や目がくらむなどのダメージを負ったという。
その後、この乗り物は各地を点々としたという。摂津の芥川、京都の松尾神社、丹波の山近くなど各地で目撃された。
また、乗っている人の姿も目撃される度に変化しており、女ではなく美しい童女だったり、80歳の老人、或いは顔がふたつの怪物や、目鼻の無い老婆であることもあったという。つまり、見る人によって姿が変わったというのだ。
この謎の乗り物は、「久我縄手の飛び乗り物」として評判となり、慶安の頃まで出現し、大評判になったという。
(ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
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