横浜銀蝿は、1980年代に若者から絶大な人気を誇ったロックンロールバンド。
パンポドールの髪型にサングラスをし、革ジャンを羽織って白いドカンという、わかりやすいツッパリ・暴走族スタイルを正装としており、その独特のスタイルから幅広いミュージシャンやバンドに影響を与えた。
正式名は、「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」であるが、メディアなどでは横浜銀蝿と略されがちである。
このバンド名は、「日本一長いバンド名にする」という思い付きから付けられた名前であり、「銀蝿」は結成当時に出入りしていたライブハウスのマスターから言われた「お前らはいつも銀蝿みたいにうるさい」という発言に由来するという。
一見してわかりやすい不良の恰好であるが、メンバーは意外にも皆大学に進学しており、翔とJohnnyは卒業をしている。
不良の気持ちを代弁するような楽曲から支持を集めたが、こうした学歴から彼ら自身は実のところ真面目だったのではないかと言われている。
わずか3年という短期間の活動だった横浜銀蝿であるが、実は同時期に活動していたとあるグループと不仲だったという噂があった。そのグループは、シャネルズ(のちのラッツ&スター)だったと言われている。有名なのは、シャネルズのリーダーである鈴木雅之が、横浜銀蝿をボコボコにしたというものだろう。
ある歌番組で両者を共演していたシブがき隊の布川敏和によると、シャネルズが歌い終えてソファーに座り、その後登場した横浜銀蝿の翔が大学の話をすると、「へぇ~、ツッパリなのに大学に行くんだ」という冷ややかな声が聞こえてきたという。その後横浜銀蝿は歌いにくそうにしていたとのこと。
こうした逸話に加え、シャネルズもメンバーが元々不良だったこと、さらに鈴木が芸能界でも指折りのケンカの強さを誇っていたとも言われていたことから、「鈴木が裏で横浜銀蝿をボコっていた」というような噂が広まっていったという。
これについては、あくまで噂であり実際どうであったかは不明である。
ただ、のちにシャネルズのメンバーの一人であった田代まさしが、横浜銀蝿を「ライバル」だったと称していたこともあり、互いに意識していた部分があったことは確かだろう。
【参考記事・文献】
・https://pyokotan.com/4019.html
・https://tomo-blo.com/artist/10324/#i-2
・https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12873919515.html
【アトラスニュース関連記事】
「田代まさし」の不祥事がもとで発生したネットの珍騒動『田代祭』とは
アメリカンポリス、E・マーフィーのパロディーは本当に人種差別だった?
【文 イトフゆ】
画像『横浜銀蠅/嶋 大輔/Johnny』