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「木村祐一」コンビ時代 デビュー2年目で最優秀賞を獲ったのに解散した理由

木村祐一は、「キム兄」の愛称で知られる吉本興業所属のお笑いタレント。

俳優や放送作家、コラムニストなどマルチな活動を展開しており、2008年には映画『ニセ札』で初監督を務めた。特に、松本人志に対しては驚くほどに気が回り、「松本の第一夫人」などと呼ばれたこともある。

説教が怖いことでも有名。

ある打ち上げの際、同席していたFUJIWARAの藤本敏史が冷麺に酢をかけようと手を伸ばす瞬間、木村が「フジモンお酢取って」と言われ、「わかりました」と返事をしてとったお酢を自分の冷麺にかけてから木村に渡したところ、「先輩よりも先に自分のかけるってどういうことや!」と激怒され、その後怯えた藤本はまったく冷麺に手を付けられなくなったという。

このような、いわば礼儀については非常に厳しいことでも知られるが、時にはあまりにも理不尽にキレることもある。

それがたとえ一般人であっても容赦はせず、自販機でジュースを買う男性に対し「土曜の夜10時にポカリスエット買うかね!」とキレたり、空気清浄機を購入する際に店員から青とピンクのどちらかを問われ「男がピンク選ぶか!」とキレたり、果ては野良犬・野良猫にまでキレるなど、エピソードに事欠かない。

そんな彼が、最初は漫才コンビを組んでいたことはあまり知られていないようだ。

当時既にNSCが存在していたが、彼は当時の若手でも珍しくNSC出身ではなく、元々はうめだ花月の進行役をつとめていた。

1986年、当初は中学校の同級生であった栩野進(とちのすすむ)と「栩野・木村」として漫才コンビを結成し、後に「オールディーズ」と改名、1988年にはわずかデビュー2年目にしてNHK上方漫才コンテストで最優秀賞を受賞するほどの実力を誇っていた。

ところが、1990年にコンビは突然の解散となってしまう。その理由は、木村の相方・栩野の不祥事であった。

この年の9月、当時14歳の女子中学生との淫行によって逮捕されてしまい、事務所解雇の処分を受けてコンビは解散、彼自身も芸能界から身を引く形となってしまった。木村にとっては、予想もしなかった形でピン芸人の道を歩まざるを得なくなったのである。

2010年7月、80年代後半に人気を誇ったバラエティ番組『4時ですよ~だ』の特番として『7時ですよーだ』が放送された際、「オールディーズ木村」と出たことで彼のコンビ時代を懐かしむ視聴者もいたようだ。

【参考記事・文献】
https://laughbeauty.com/solo/5631/#i-3
https://rehaot-nakamura.com/kimurayuiti-frightening/
https://ameblo.jp/amema0071/entry-12466616378.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1046486490

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【文 黒蠍けいすけ】

画像『キム兄の人間設計図