映画作品『仁義なき戦い』『蒲田行進曲』『魔界転生』『バトル・ロワイアル』などで監督をつとめた人物といえば深作欣二(ふかさくきんじ)。1961年『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビューをして以来、主に多くの暴力的かつ過激な作品を世に送り出した。
「風来坊探偵」は千葉真一の初主演作品でもあり、深作と千葉は特に親交が深かったという。千葉によれば、実在の人物たちが荒唐無稽のストーリーを演じる「魔界転生」を深作は非常に楽しそうに撮影しており、「ウソの世界をどうリアルに撮るかだ」「ウソと観客に思われたら負けだ」と語っていたという。ウソをいかにリアルに仕上げるか、それをモットーとしていたことは間違いない。


先にも言ったように、彼の作品はいわゆるヤクザ映画をはじめとして暴力的描写が非常に多い。しかし、これは暴力描写をすることによる暴力否定を描いていることに起因していると言われる。
特に「仁義なき戦い」は、それまで義理と人情を重んじる人間同士の触れ合いが根幹となっていたヤクザ映画の根幹を一変させ、義理も人情もない理屈なしの暴力が繰り広げられる様を描いている。暴力のむなしさをこうした形で描いた「仁義なき戦い」は、そうした点で日本映画においても前例の無い画期的な作品となった。


さて、1989年に公開された『その男、凶暴につき』という映画。言わずと知れた、ビートたけし主演の映画であり、また彼の北野武監督としての記念すべき処女作となった作品だ。実は、この映画はもともと深作が監督をつとめる予定だった。
深作が本作の監督から降板した経緯には、大きく二つの理由が上げられている。

一つは、プロデューサーの奥山和由との間で、バイオレンスシーンの扱いについての折り合いがつかず、またスケジュールの調整もできなかったことから降板したというもの。当初は、映画のタイトルも『灼熱』だったという。
もう一つは有名な話であるが、主演のビートたけしが当時フライデー襲撃事件による謹慎が明けたばかりで仕事が山積みになっていたこと、またリハーサルを多く行なう深作の意向と、ビートたけしの「リハーサルはしない」という本番一発勝負の主張がぶつかったことが重なり、深作が降板したというもの。
こうした経緯から、北野監督誕生の裏には巨匠深作が関係していたとも言えるわけだ。なお、のちにビートたけしは深作監督作品「バトル・ロワイアル」に出演しているため、少なくともこの時点で両者にわだかまりは無かったようである。
【参考記事・文献】
・https://re-geinou.com/archives/3864
・https://www.asagei.com/9406
・https://movie.hix05.com/Japan2/yakuza05.jingi.html
【アトラスニュース関連記事】
幽霊が出たせいで番組を遅刻?!「ビートたけし」の心霊体験あれこれ
高倉健と対照的だった「菅原文太」の数奇な縁
【文 ZENMAI】
画像 ウィキペディアより引用