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「高田みづえ」上京後の下宿時代に事務所社長の子供の世話をしていた?!

高田みづえは、70年代に歌手やタレントとして活躍していた人物。「フレッシュ三人娘」の1人としても知られ、のちに大関・若嶋津六夫(わかしまづむつお)と結婚したことで芸能界を引退、2022年に二所ノ関部屋の経営を引退するまでは女将をつとめた。

「超えてる16才」をキャッチフレーズに、1977年『硝子坂』でアイドル歌手としてデビューした高田は、前述の通り、同期デビューの榊原郁恵や清水由貴子らと共にフレッシュ三人娘と呼ばれた。なお「花の中三トリオ」が解散したため、その後継として注目されたもののすぐに自然消滅してしまった。

その歌唱力は、80年代でも群を抜いて優れていたと言われている彼女は、歌手になる思いが幼い頃から強く、高校時代は歌修行のための資金集めをすべく新聞配達のバイトをしていたという。

1976年にオーディション番組『君こそスターだ!』にて第18台グランドチャンピオンに輝き、バーニングプロダクションに所属することとなり、上京後5年間は事務所社長宅で下宿をしていた。

なんと、この下宿暮らしだったころは、社長の子供の世話をしていたそうだ。これは、彼女自身が子供好きだったということで進んで行なったことのようだが、入浴やおむつ交換までしていたという。

1978年後半はレコードセールスも不安定になってしまうほどに一時低迷、紅白にも落選してしまうほどだった。しかし、転機となったのは、12枚目のシングル『私はピアノ』だった。

49万枚という自身の最大ヒットとなり、オリコン最大5位、落選していた紅白への復帰にもつながることとなった。実は、この「私はピアノ」はサザンオールスターズ(作詞作曲・桑田佳祐)のカバー曲であり、このヒットによって続いた同じくサザンのカバー曲「そんなヒロシに騙されて」もヒット曲の一つに数えられるようになった。

なお、桑田佳祐のみならず、谷村新司、村下孝蔵、さだまさし、松山千春といった、早々たるアーティストから楽曲提供を受けている。

タレントとしては、『カックタキン大放送!!』や『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』にてレギュラー陣と共にコントを繰り広げることも多く、特にザ・ドリフターズとのコントでは、互いに水をかけあったり、物を投げ合ったりといった姿が印象的であった。

2014年、バラエティ番組『行列のできる法律相談所』SP版にて明石家さんまと30年ぶりの共演ということで話題となった。かつて、両者はクイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』で共演しており、たびたびペアを組んで解答していた。

しかし、高田が引退をしたことでさんまの新たなペア相手が歌手の工藤夕貴に代わるも、工藤のあまりにトンチンカンな解答に溜まらずさんまが「みづえカムバック!」と叫んだこともあったという。

【参考記事・文献】
https://www.pasonica.com/%E9%AB%98%E7%94%B0%E3%81%BF%E3%81%A5%E3%81%88/
https://arty-matome.com/I0003409
https://ameblo.jp/tsupparitaro2/entry-12609125175.html
https://ameblo.jp/inoueno2000/entry-12742367279.html
https://entame-line.biz/wp/1726.html

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【文 ZENMAI】

画像『高田みづえ コンプリート シングルズ CD3枚組