水木しげるの代表作の一つ『悪魔くん』は、かつてモノクロテレビ時代に実写化されたことがある。
「悪魔くん」は、1963年に貸本漫画からスタートした作品だが、東映東京撮影所によって製作された実写ドラマ「悪魔くん」は、1966年10月から翌年67年の3月にかけて、全26話放送された。原作とは異なるリメイクに近い作品ではあるが、モノクロ作品特有の不気味さから独特の魅力を持った作品としても知られる。
本作の企画の一人に、平山亨(ひらやまとおる)がいた。彼は、『仮面の忍者赤影』『ジャイアントロボ』『柔道一直線』、そして『仮面ライダー』など多くの人気作品のプロデューサーを務めた人物であるが、なんとこのドラマ版「悪魔くん」が初プロデュース作品だった。
当時から水木しげるの大ファンであった平山は、貸本漫画版をそのまま実写ドラマ化するつもりだった。しかし、貸本版は非常にグロテスクな内容であったため、同期のプロデューサー・宮崎慎一から「テレビには向かない」と反対されてしまった。
しかしその後、たまたま尋ねた少年マガジン編集部で、発売前の少年マガジン版「悪魔くん」を目にし、その内容が親しみやすい内容へリメイクされたものであったことから、これを下敷きに「悪魔くん」の企画を進めることにした。
モノクロ実写版「悪魔くん」は、そのストーリーがほぼオリジナルとなっているが、平山は水木とともに妖怪のアイデアを考え合っており、水木自身も貸本漫画風には拘らず、テレビ向きに作り直しをした方が良いという意向だったという。
一話完結スタイルにしたのは、水木の提案によるもの。これは、「子供たちは1週間で話を忘れてしまう。1話ごとに完結して毎回違う妖怪が登場する形式がいい」という水木自身の紙芝居作家としての経験から提案されたものであった。
この提案は、平山も目から鱗が落ちる思いだったと言い、水木の卓見にひたすら驚いたという。
しかし、放送そのものは一筋縄ではいかなかった。妖怪を扱った内容から縁起が悪いとされ、スポンサーが幾度も変わり、また「東映だって巨大特撮をやれるところを見せよう」という平山の情熱から、本作は予算の3倍を超える制作費となった。
このため、「会社をつぶす気か!」と怒鳴られたこともあったそうだ。26話以降、続編が制作されなかったのは、これらの事情が大きかったと考えられる。
因みに、本作では主人公(山田真吾)が召喚した悪魔・メフィストが登場するが、10話までが兄、それ以降は弟が登場している。これは、メフィストを演じる吉田義夫が体調不良によって降板することになってしまったことの処置であり、以後は潮健児がメフィスト弟として活躍した。なお、19話には地獄に落ちた悪魔くんと再会する形で吉田扮するメフィスト兄がゲスト出演している。
【参考記事・文献】
・https://kazaha7.com/tele/?p=2670
・https://x.gd/b2K4d
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